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投稿

9月, 2024の投稿を表示しています

私の人生悔いなし

  おつかれさまです☀️ 101代女子ローの村上弥優です! 遂に引退が近づいたこの頃、地元の友達に「引退嬉しい?」って聞かれると、嬉しくもなく寂しくもなく、ただただインカレを無事に迎え笑って終われたら良いなと願う私です笑 私がボート部に入ってから思ったことをただただ書きたいと思います✊🏻 1回生はする事何もかもが初めてで、毎日がわくわくしていました。乗艇が楽しくて、先輩と話せた時は嬉しくて、日々楽しむことしか考えてなかったです笑9月に先輩がインカレに行き、残された1回生だけの練習、凄くしんどくて寂しかったです。来年は絶対にインカレに出てやるぞ!と意気込んで、ttの8分カットが私のボート部人生最初の目標になりました。それからは目標に一直線、5月で8分カット達成✨本当に嬉しくて引退した大好きな先輩にすぐ報告しました✌🏻私にとって出場できる権利があると心の安定剤になりした。だから女子ローミーティングでは何回も8分カットして皆んなでインカレ出ようと感情込めて言った気がします笑 2回生は初めてボート部を辞めたいと思いました。練習がしんどかったのもあるけれど、1番はしたい事ができました。それはユニバーサルスタジオジャパンで働くこと🎢お姉ちゃん2人共アルバイトをしいて、私もいずれはしたい!でも週6のボートをしながらなんてできない🥲その頃本当にユニバーサルスタジオジャパンでアルバイトしたい!と言う気持ちと初シングル試合で不安が重なって辞めてしまおう!!って思いました。 でも、辞めたら101代のみんなや先輩に会えなくなるのか…皆んなが楽しんでるのをSNSで見るだけの生活になってしまうのか…って思ったら、楽しさを与えてくれる皆んなを手放して辞めるなんて、自分は何を考えてるんだ!と思って辞めるのを辞めました笑ボート部人生初の良い決断でした✨でも私は夢も諦めません!ユニバーサルスタジオジャパンでアルバイトする夢は引退してから叶えます✊🏻9月中旬から居るので会いにきてくれると嬉しいです笑 3回生はステップアップする年になりました。まず女子ロー対抗クルーに乗れなくて凄く悔しいかったです。今まで私の中では乗りたい艇に乗ることができ、順調にボート部人生進んでた気がします。乗れない理由も自分では分かっていたものの、整理がつかないときもありました。一旦頑張るのみに焦点を当て、次は全日...

ラストブログ

 ラストブログ お疲れ様です! 4回生の池内聡介です!  同期のみんなも4年間を振り返っているので、自分も振り返っていきます。長くなってしまう予感がするので、各学年や時期で印象深いエピソードとか感じたことを抜粋して書いていきます。もう最後なので色々と書きます。あとは、みんなへのメッセージも書きます。 1回生  8月にボート部に入部しました。入部した理由は直感です。なんとなく雰囲気が良かったから、楽しそうだし、そんな感じでした笑 りやさんにボート部の説明を受けたことと、阪急淡路駅から艇庫に向かう途中に川口と出会ったことを覚えてます笑 最初の頃はボートが楽しいというよりは、同期や先輩と遊びに行ったりする方が楽しくて、それ目的でボートをしていました。正直、モチベーションは4年間の中でも低かったと思います。コロナの影響もあったからかなぁ。 2回生  インカレ前の2000ttです。モチベーション低い期でしたが、インカレには出たいという気持ちはありました。しかし、エルゴタイムは7.05  5秒足りませんでした。何回チャレンジしても、この5秒の壁は大きかったです。今までの練習への取り組みの甘さが出ました。  結局エルゴタイム切れずにオックスフォード盾レガッタに出場することになりました。そして、インカレでは同期のゆうき、こーゆー、みゆとかが戸田の大学といいレースしてて、羨ましさ、かっこよさ、自分に対する悔しさ、情けなさとか色んな感情が心の中にありました。オッ盾で勝っても負けても何も感じなかったです。それも悔しかったです。  インカレで活躍する同期を目の当たりにして、自分も来年こそは練習頑張ってインカレに出たいという思いが強くなりました。冬練を頑張ろうと思うきっかけでしたし、挫折でもありました。 3回生  3回生で、印象に残ってるのは初めて対抗に選ばれたことです。冬練で初めて7分カットして、関関戦に出ることになりました。すごく嬉しかったことを覚えています。今までの努力が報われたというか、頑張ってきてよかったと感じました。  今までは、正直、試合に出ても緊張は全くありませんでした。しかし、対抗に乗ってからは違いました。対抗は部の代表であることや勝つことへの責任がありますし、重圧もあります。試合直前のアテンションの時は震えるようになりました。  関関戦、関戦では巧さんが...

1238日

 「 1238日 」 お疲れ様です! 4回生マネージャーの山口遥渚です。 関大ボート部のマネージャーとして過ごすのも残り10日ほどとなりました。私が入部してからの日数が気になったので調べてみると、1229日らしいです、、(数字に圧倒されますね、、)それだけ長い時間を過ごしたボート部での日々はやはりとても濃いものだったなと感じています。きっと、大学の4年間を振り返ったときにいちばん思い出されるのはボート部でのことです。私の大学生活の中心にあったのは間違いなくボート部で、その存在は自分で思っている以上に大きかったのだと思います。その証拠に、引退後の生活がどんなものになるのか想像がつかないし、何をしたらいいのか分かりません、、笑笑 なんとなく、旅行に行きたいなぁ、、などと考えていますがそれくらいです。 1回生の新歓の時期、ある部活のブースに行くために大学に向かった私は早速正門で足止めを食らい(声をかけていただき)ました。ボート部の先輩でした。勧誘され、そのままブースに連れて行かれ(連れて行っていただき)、試乗会に参加することを決めました。あのとき勧誘していただいた先輩方やブースで丁寧に説明してくださった先輩は今でも覚えています、、ありがとうございました、!!試乗会ではクォドに乗せていただき、2本のオールで漕ぐ難しさを身をもって知ると同時に部の雰囲気に惹かれ、あれよあれよという間に入部しました。 私が入部した頃はコロナ禍だったためzoomでミーティングやトレーニングをしていたのを覚えています。ある日の全ミで当時の幹部の先輩方から、コロナのこともあり西日本(もしくは関選、もしくはその両方)を棄権するという報告がありました。入部したばかりの私は正直その状況やコトの重大さをあまりよく理解できていなかった部分があったと思うのですが、画面上で見る先輩方の悔しそうな表情や涙を流す姿はとても印象的でした。そのときに、ポジション関係なくここにいる先輩方がどれだけの想いを持ってボートに向き合いどれだけ真剣に部活に取り組んでいるのかを実感させられた記憶があります。と同時に、そんなかっこいい先輩方がたくさんいるボート部の一員になれて嬉しい気持ちや、サポートする立場としてやっていけるか不安な気持ち、マネージャーとして1日でも早くチームに貢献できるように頑張りたい気持ちなどいろいろな感情がご...

お疲れ様です

 お疲れ様です。 部内で1番年上なのに1番子ども 4回生の若松です。 もうすぐで引退が近づいており、嬉しい気持ちしかありません。 今回私が4年間部活動を行い大切だなと思ったことを書こうと思います。 私が1番大切だなと思ったのは人の長所大切にすることだと思います。 具体的に言うと人と付き合っていく中でお互いに嫌な部分や仲が悪くなる場面が出てきます。 その中で嫌なとこばかり焦点を当ててしまい、仲違いしてしまうのは勿体無いと思います。 イカれた人を除き、大半の人は嫌な部分よりも長所の方が多いと思います。何か嫌なことがあってイライラしても感情的に短所ばかりを見つめるより、一旦冷静になりその人の長所を思い出すことで仲違いしないようにしてください。 また、みんなは他の一般人よりも関わる時間が多いです。大学の部活動の同期は一生の友達だと思います。なのでお互いの長所を大切に思い、仲良くしてください。 最後にみんなに感謝と一言伝えます。 私はみんなが知ってる通り、気分屋で飽き性で何事も続かなく、嫌なことは死んでもやりたくない人です。こんなカスみたいな人間だけど部員みんなが見捨てずに(見捨ててるかもしれないけど)仲良く話してくれ、に感謝しかありません。特に同期には日々多大な迷惑をかけてしまっており申し訳ございません。仲良くしてくれてありがとうございます。 後輩たちにはこれからたくさん辛いことがあると思います。3回生は部を運営していくなかでお互いの意見で衝突すると思いますがそのことはそのことで割り切り私生活で仲が悪くならないように気をつけて 2回生は島田を優しく育ててあげてください。 知ってるかもしれませんが島田はものすごいピュアで人に影響を受けやすい子です。2回生の女の子たちはみんな大人でものすごい良い子なのでその良い子さを島田に分け与えてください。 1回生はこれから本格的に部に合流するので体や体調に気をつけてください。これからたくさん練習や試合があるので今の段階で無理しないでください。あと、もっと先輩に愛のイジリをしてください。もっと上下の仲が良くなるはずです。 ※そうすけ隠し事は心痛いやろ早く楽になり  りきまるドンマイ、元気出せよ、次行こぜ

充実した4年間と後輩たちへ

 「充実した4年間と後輩たちへ」 お疲れ様です!101代の札埜力丸です。気づけば今回がラストブログです。引退まで残り少なくなりました。 1年生の5月試乗会に参加し、当時の4年生の先輩方に押されて気づけば入部してました。また、高校1年生の4月にお尻キックをきっかけで仲良くなった落合くんとここまで一緒に過ごすとは思っていなかったです。7年間ありがとう落合。時間が経つにつれ同期と仲良くなり同期の家に泊まってつめつめになって泊まってよくわからない妄想話やゴシップ話をして爆笑しました。2年生はあまり記憶がありません、、、おっ盾に出たくらいですかね、この時は練習しても中々結果として現れなくて、ボート部に入って始めて挫折した年でした。 3年生は始めて7分切ってインカレに出ることができました。2回目の挫折も経験しました。シートレースに破れエイトに漏れました。好きな先輩方と一緒に勝利を共有できなくてめっちゃ悔しかったです。今まで隠しててごめんなさい🙇‍♀️、悔しすぎて試合見たくなくて関関戦ズル休みしました。先輩の前で言うとブチ切れられると思ったのでここまで隠していました。あの時は流石に子供すぎました。でもこの機会があったからこそ競技に本気で部活に取り組み成長することができました。ありがとうそーいちろ。 4回生のみんなが振り返り系?ブログ多めなので僕は後輩に伝える系?ブログにしようと思います。 最上回生になり僕は正直、巧さんのような普段は口数の少ない黙々練習して尊敬されるクールキャラを目指していました。でも挑戦した結果、ただ静かなやつになってしまい諦め、最終的に時に呼び捨てされるような巧さんとはかけ離れた先輩になってしまいました。 でも4年間で1番後輩たちとたくさん関わり、朝来たら元気よく挨拶してくれたり個人的なユニットを結成したりもして、今までにはなかったくらい仲良くなることができました。引退直前になり、寂しがってくれる後輩もいて、自分の存在価値を感じられてとても嬉しかったです。みんなありがとう。 前置き長くなったけど、最上回生になる3年生、今後チームを引っ張る立場になる2年生、1年生たちに結局言いたいことは、別に無理に全員が先輩っぽく振る舞わなくても周りはしっかり見てくれてるということです。(そーいちろ後輩と話してる時ちょっと怖ばった顔してるよー、奈良軍団と話してる時のよ...

続けてよかった

 「続けてよかった」 お疲れ様です。 4回生マネージャーの田城です。 私は大学1年の4月に入部しました。 部活に入るつもりなんてなかったけど、ボート部の雰囲気に惹かれて気づいたら入部していました。 そこから今まで楽しいことも辛いこともいっぱいありました。 1年生の時は言われたことを言われた通りにやる毎日でした。あんまり覚えていないけど、初めての経験ばかりで楽しかった気がします。 2年生でマネージャーの存在意義を見失いました。部活に慣れ考える余裕ができたことで、何のためにマネージャーをやっているのか分からなくなりました。 直接チームの勝利に貢献できるわけでもないし、頑張りが目に見えるわけでもありません。 そんなことを考えだして悩みました。 結局これという答えは出なかったけど、辞めたらもうみんなと会うことがないと思うとなんか寂しくて続けることにしました。 1年前のちょうど今頃主務になると決まり、これからどうしようとずっと不安だったことを覚えています。やるしかないと決めたけど、思っていたより大変でした。 加古川で普通に死ぬと思ったし、関関戦の準備もやばかったし、就活と被った期間はもう無理かと思いました。 それでも、なぜ続けられたのか考えると、結局はみんなのことが好きで、ボート部を自分の居場所のように感じていたからだと思います。 私はみんなを上手くまとめられるようなタイプでも、決断力があるとか仕事ができるタイプとかでもなかったから、同期や後輩にいっぱい助けてもらったお陰で乗り切れました。ありがとう。 特に同期マネラインで相談したら、すぐ返信してくれるし意外とズバズバ言うみかちゃんや色んな立場を考慮した上で的確な意見くれるはるなちゃんには大感謝です。2人がいてくれて心強かった、ありがとう。 4年間で本当にたくさんのことを学びました。 特に「目に見えているのはほんの一部」だということを実感しました。 関大ボート部には、選手マネ関係なく、見えないところで動き、部を支えてくれている人がいっぱいいます。部員だけでなく、保護者の方やOBさん、大学などもです。 そういった人たちの想いや存在に気づける組織であってほしいなと思います。 そのために視野を広く持ち、想像すること、理解しようとする気持ちを大切にしたいですね、 私の大学4年間を振り返ると一番に思い浮かぶのはボート部のことです...

ラストブログ

 「ラストブログ」 お疲れ様です。4回生の落合です。 気がつけばこのブログも書くのも最後になっていました。 最後のブログは自身の4年間について振り返ろうと思います。 僕は高校時代に小1から続けてきた剣道を高2の時に辞めてしまいました。理由は色々あるんですけど、とにかく心が完全に折れてしまいました。人生で初めての挫折でした。 このことから大学では何か一つ頑張りたい、やり抜きたいと想い、部活に入りたいと思っていました。そんな時、高校からの友人の力丸に誘われていたボート部の試乗会に参加しました。試乗会では水上での非日常感に感動して、ほぼ勢いで入部しました。 これが僕の4年間のボート人生の始まりでした。 入部した当初はがむしゃらで、練習や新生活など、全てのことが新鮮で楽しかった記憶があります。コロナの制限が少しづつ緩和されてきて、部活でできることが増えて、それもあってか非常に楽しかった記憶があります。 1年生の冬頃からは、早朝練がはじましました。朝5時集合を初めて聞いた時、異常を感じて、当時新人指導に携わってくれた先輩に電話で早朝練の異常性について、熱弁した記憶があります。「俺の目が黒いうちは5時集合なんてさせねえぞ」と思っていましたが、見事に白目を剥かされました。気づけば甘んじて受け入れていました。 2年生の頃は、オッ盾で初めて戸田を経験しました。 ここでは様々な大学の熱い戦いを目の当たりにして、インカレに対する気持ちが強くなったと思います。 加古川レガッタで、ゆうきとのダブルスカルで、3位になれた時は少しだけ部の戦力になれた実感がありました。 そして3年生の時が、自身のボート人生で最も成長できた年でした。 関西選手権が終わり、インカレの選考が始まろうとしていたとき、当時の僕のベストタイムは「7:07」。まだ7分カットをできていませんでした。 ここでインカレに出場して、強い人達と戦う経験をしておくべきだと強く思っていたので、ほぼ毎日、乗艇後にエルゴに向かって足を運びました。 その結果、「6:57」を出して、なんとかインカレの出場切符を手にしました。 そして、インカレでは、100代のようじろうさんとダブルスカルで出場しました。ようじろうさんとはこのシーズンでは西日本からインカレまでずっと一緒のクルーでした。彼はこのシーズンはイップスみたいな状態が続き、中々うまくいか...

活力

 活力 お疲れ様です。101代の藤尾優太です。 ラストブログということで4年間を振り返りながら思っていることを書いていきます。 最初の半年は漕手でした。あんま覚えてないですけど、自分の成長が直接船に反映されていることが感じられて楽しかったです。 そして冬にcoxになりました。最初は少し乗り気ではなかったですが、最後まで何とかやり切りました。coxの先輩がおらず、お手本がないからこそ、いっぱい挑戦していっぱい失敗してその中で最適解を見つけていきました。貴重な経験ができました。ありがとうとごめんなさい。 2回生になってすぐ対抗に選ばれましたが、全く結果を残せずのきさんに投げられ、対抗に一緒に乗っている先輩にはたくさん迷惑をかけて、同期を中心とする部員からは対抗なのに結果が出てないとか偉そうとか色々言われました。当時コロナ禍で合宿も出来なかったので、毎朝4時半に起きだったり、バイトや教習、授業もあり、本当に4年間で1番限界でした。だからもう逃げ出したいと思いましたが、一度任された仕事を逃げるのはという責任感と逃げ出す勇気がなかったことで辞めるのを辞めました。 2回生の冬に車との衝突事故で瀕死状態になりました。幸い後遺症はほとんどありませんでしたが、2ヶ月間自宅に軟禁され、本来なら出れていたであろう大会に出場することすら出来ませんでした。そのような大会では去年と比べて結果だけでなく、チームの雰囲気まで大きく変化し、去年とは見違えるほど変化しました。みんなが輝いて見えたと同時に、他の部員との差が生まれてしまったことや事故によってチャンスを失ってしまったことを感じました。 今シーズンはたくさんの人の「期待」に応えたいと思ってました。しかし自分自身の結果だけ見たら何も出来ませんでした。今残っているのは罪悪感です。 しかし学んだことも多くありました。西日本選手権では補助員をして大会の運営に携わりました。ブイの引き上げや洗浄、審判艇の片付けなどを夕方まで行いました。その中でこんな苦労があって、自分たちは不自由なく大会に出れているんだと感じました。そういう人にもぜひ思いをはせてみてほしいです。 また自分自身や自分のクルーが結果を出すことだけが部に貢献することでは無いことを学びました。新人指導や無しフォアの伴走を通じて、誰かにいい影響を与えられてたら嬉しいです。残り2週間まだまだ...

ボート人生

「ボート人生」 101代吉岡です。お疲れ様です。 今まで数回書かせていただいたブログもついに今回で最後となりました。 ボートに乗り始めてちょうど10年の今年、僕は艇を降ります。今までの振り返りみたいなのを書きたいと思います。 まず中学生。フェンシング部とボート部でどちらかへの入部を考えていた私はボート部を選びました。入部届を出したその日の練習で先輩から2000m TTをさせられました。タイムは8:44でした。今でも忘れられません。でもこの時は目標や目的は全くありませんでした。 そして高校生。中学生の後半で高校の先輩方がインターハイや選抜など全国大会で入賞し、賞状を持って帰ってくる姿に憧れてダサい日焼けを生み出すロースーに憧れを持っていました。高校生になってからは目的、目標が定まりました。目的は良い大学に行きたい!そして目標はインターハイ優勝でした。同世代の高校生はコロナのせいで薄っぺらい3年間を過ごした人も多いと思います。諦めかけたインターハイも監督のおかげで全国大会を大阪で主催していただくことができました。男子2種目で上位入賞することができた大会でした。いつも楽しいことやアホなことばっかりして笑っている同期、そしてそれに対して時には感情的では?と思いつつも本気で怒ってくれた監督、また顧問の先生方、後輩までが号泣したあの最後のミーティングも忘れられません。 そして大学生。良いも悪いも全てを自分で選択する4年間です。高校みたいに怒ってくれる人もいません。その中で集まった約50人の同志。ここでだいぶ遅ればせながら初めて女子の先輩や後輩を持ちます。この4年間は目的地は同じでも様々な経由地や道のりがあり、人それぞれだと思います。この4年間も目的、目標を定めていました。目的は就活できちんと話すことができ、初対面で聞いた人が魅力的だと思う4年間を創る。目標はインカレ上位入賞です。過程に魅力を感じる人も多いかもしれませんがどんなけ間で頑張ってもそれなりの結果がついてこなければ注目すらされません。 大きく3つに分けるとこんな感じです。 過程よりも結果。こんな考えになったのは様々な競技で成績を残す人が多かった清風の影響かもしれません。インターハイにも多くの競技で参加しており、壮行会の際には学園長から「試合に行ったら勝ってくる。」と送り出されます。そしてこれこそ清風魂と言われてました。...

これが私の選んだ道

 「これが私の選んだ道」 101 代、漕手の細野花歩です。 インカレまで10日を切った今、レースに向けて練習している私の姿は半年前には誰も想像できなかったと思います。私自身もです。 今年の冬、体調不良が続き、体力的にも精神的にもボートを漕ぐことが出来ないと判断し、競技から離れる期間を作りました。休んでいる間、みんなの足を引っ張っている申し訳なさと、引退まで半年なのに頑張ることができない自分に不甲斐なさを感じていました。これからどうするのが正解なのかたくさん悩みました。 出した答えは、自分の気持ちに正直に行動することでした。そして、西日本選手権に向けて練習する期間、サポート側に回るという決断をしました。自分勝手な決断と思いながらも、最後まで私がボート部にいるために、その時はそうするしかありませんでした。ボートを漕がなくても、何らかの形でチームに貢献することが出来れば、悔いなく引退できると考え、アドバイスや練習の補助をすることにしました。乗艇を見て欲しいと頼まれたり、アドバイスで良くなりましたと言われた時は本当に 嬉しかったです。このチームにいる存在意義を感じられました。 改めて、関大ボート 部を好きになった期間でした。 ですが、私の中でやっぱり最後は漕いで終わりたいと言う思いが少なからずありました。西日本が終わり、このまま漕がずに終わるか、数ヶ月でもいいから漕いで終わる か決める時が来ました。体調が良くなったことに加え、艇庫に行き、みんなと話した りご飯を食べているうちに一緒に漕いで、引退したいと強く思いました。その時、漕 手としてボートに向き合いたいと思えたことが、本当に嬉しかったです。 こんな自分勝手な私を尊重して、受け入れてくれた現女子ローのみんなには感謝しかないです。ありがとう。 7 年間ボートを続けることができたのは、周りの人に恵まれていたおかげです。その中でも、同期の存在は大きくて、個性豊かなみんなとこの4年を過ごすことができ、私は幸せ者です。ありがとう。 そして、4 年前、関大漕艇部を見つけ、最後まで関大に入ることを諦めず、入学を掴んだ私。ありがとう。 たくさん愛を伝えてくれる後輩、相談に乗ってくれる頼れる先輩、部活をしている私をいつも褒めてくれる友達、そして、私の選んだ道を応援し続けてくれる家族に良い 結果を報告できるよう、ラストレース、全力で...

引退

  お疲れ様です。 川口です。 まずはブログ遅くなってしまいごめんなさい、なかなかまとめきれませんでした。 まずは、このインカレで101代は引退してしまいます。何をするにもラスト神崎であったりラストゼンミのようなラスト〇〇がついてきます。意外とあっさりなようで名残惜しく感じています。 ちょうど去年の今頃、クォドに一緒に乗っていたとある顔の大きい先輩に毎日のように引退まであと1年とイジられていたのがつい先日のようです。 そして代が変わり幹部として運営に携わる中、完璧と言えるような働きは自分はできなかったかもしれませんが、部員と一緒に今日を迎えれたことに嬉しく感じています。 僕は、中学、高校時代までは剣道、水泳と多種多様な部活に所属していました。かといって全国出場とかそんな素晴らしい経歴は全くなく、全て市大会敗退であったりと全国の舞台を知りませんでした。 「大学から始めて全国へ」 この謳い文句で今年入部してくれた1回生の子たちもいると思いますが、3年前の僕も同じ気持ちで入部しました。スポーツをやっていたら誰でも全国大会という舞台への憧れは絶対あるでしょう。僕は最後の学生スポーツの舞台を漕艇、関大ボート部に賭けました。 その賭けは、自分の中では成功と言っても過言ではありません。 なぜならば今回のインカレを含め、7度の全国と名がつく大会に出場させていただいたからです。 やはり高校までの市大会や県大会とはスケールが違い、白熱しすぎて自分の血が激っている感覚を味わいました。 さらに、はじめての団体競技ということもあり、仲間と共にゴールを目指すということがとてもカッコよくて楽しくて試合が毎回楽しかったです。 結果で見ると昨年度のインカレでクォド総合8位というありがたい結果を除き、全国入賞や全国メダルなどの大した結果は残せませんでした。 僕は、漕手としてのローイングテクニックは同期達には劣ります。僕の同期達は常に考えながら漕ぐという面で優れていて、何度も羨ましいと思いました。特に、3.18事件でそれを思い知らされました。(詳しくは過去のブログへ) 先日のゼンミで、聡介が「脳筋なので」と言っていましたが、脳筋と言われてみんなが思い浮かべるのは僕ではないでしょうか?? その通りで、僕はもっと脳筋だと思います。 がむしゃらにメニューに取り組み、エルゴも後のことを考えずに最初からぶ...

「みんなありがとう大好き」

 こんにちは、  4回生マネージャーの春名美佳です🌷 気付けばボート部での生活もあと20日。 授業がゼミだけになり就職活動も終わってから、自分の中で時間的にも気持ち的にも大分余裕ができて嬉しかった一方でほんとに部活以外やることないなーということが判明し、引退したら何してるんだろうと思うと楽しみな反面充実した日々を送れるのか既に結構不安な今日この頃です、、笑 毎回内容に困っていたブログもついに最後になりました。文章下手だしそんなに良いこと書けないですが、思ってること考えてたことを書くので読んでいただけたら嬉しいです🌱 まずは!! 私はマネージャー業務として広報・千里を担当させていただきました📸 機械音痴すぎたおかげでカメラで上手く撮るのも膨大な量の写真アップするのも千里を編集するのも苦戦しましたが、何よりかっこいい、可愛い、頑張っている、楽しんでるみんなの姿を沢山撮れたのが嬉しかったです。 パソコン使うのを助けてくれた人、寄稿協力してくれた人、毎回写真楽しみって言ってくれた人、私が撮った写真をインスタにあげたりアイコンにしたりしてくれてた人、皆さんからしたら何気ないことだったかもしれないけれど、すっっっっっごく嬉しかったです。ありがとうございました🥹 ちなみにこの役割をしていて1番びっくりしたのはアルバム作ったら怖いくらい一気に沢山既読がついたことです、笑 ただたぶんみんなが思っている以上に「千里作成」大変だと思うので締切守るとか締切守るとか、、! これからも沢山協力してあげてくださいお願いします。 話は少し変わりますが、せっかく最後のブログなのでボート部での生活を、軽く振り返ってみようと思います💭💭 私は若干サークルに入っていた時期があり、同期のみんなより少し遅れてこの部活に入りました。 中学高校の部活動では別の競技をしていてボートを知っていた訳でも知り合いがいた訳でもないのに、やっぱり何か1つ新しいことを頑張りたいと思って体育会に興味を持っていた時、SNSで見つけたボート部に1人で見学に行って入部を決めました。色んな人に聞かれたけれど、なんであの時あんなに行動的になって即決できたのかは正直自分でも分かりません笑 ただ、大学生活を思い返してみた今、その時の選択は間違っていなかったと確実に言いきれます。大変なことも多々ありましたが、振り返...