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8月, 2023の投稿を表示しています

泥に咲く花

  「泥に咲く花」 どうも、直井です。 お気に入りの写真がどんどん使われ、集合写真もなくなりました。 1.2 回の頃の遊びまくってた時の写真をあげます。動画はチャリに乗ってコールしながら関大まで帰った日です。 関大ボート部の一員となって、 1097 日目。今日まで、来る日も来る日も艇に乗り込み、オールを握り、漕ぎ続けてきました。 そんな私もあと 12 日経ってしまえば、艇を降り、オールを置く。 もう 2 度と、膝がガクガクになることも、手に無数の豆ができることはないはずです。 オールの変わりに煙草と酒を両手に握り、夜な夜な高校時代の友達や、同期と遊び歩いているかもしれない。あるはずがないけど彼女ができてたりするかもしれない。ありえない。とにかく chill time が待っている。 そんな chill time の始まりは、朝 5:00 から、体幹 bot の「体感するよー」という一言から始まり、 up 中の「今日あれっすよ。 GOGO 電鉄感謝祭っす。」という誰かさんの一言。乗艇中、牛なんだか、豚なんだかわからない鳴き声を発する顔デッケェ奴をグーパンし、ミー 3 で消毒戦争して、皆んなでお昼寝。起きて、毎日同じ会話をして、家に帰る、という私の日常を奪っていく。 そんな今後の生活が楽しみだなと思う反面、これまでの日常、当然のように私の前に立ち尽くす目標など大切なモノが奪われるのは悲しいし、寂しい。何より目標がなくなってしまうのが何より怖い。 同時に、現状を失うのが怖くなれるくらい熱中しているんだと思うと嬉しくもなる。 今、こう思うのは冗談抜きで周りで一緒に頑張ってくれた、マネさん、女子ロー、そして男子皆んなのおかげだと本気で思っています。ありがとう。そんな感謝の気持ちも込めて、今日は素直な想いを書かせて頂きます。 すでに長くなってしまったけど行ってみよう。今日は長いよ。 2 度とないので、一生懸命書きました。読んで欲しいです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 少し自分の話をさせて欲しい。 周りがどう自分のことを見てるのか知らないが、私は自分に自信がなく、劣等感を抱えながら今日まで過ごしてきた。 きっかけは中学の時くらいに家族の凄さを知ったことだった。 生々しいが、父親は超一流国立大学を卒業後、 5 大総合商社の一つで働いている。母親は元外資系航空会社の客室

ビックラブ!!!

  お疲れ様です。 4 回生マネージャーの上坂です。 ブログ書くの嫌いで避けてきたのですごく久しぶりです 😣 優しい目で読んでくれるとうれしいです。 2020 年 9 月 12 日に私はボート部に入部しました。 他の部活より入部しやすい雰囲気で、ボートしてる人の筋肉が好きだったことから入部を決めました。こんな浅はかな理由で入部した私ですが、一度も辞めたいと思ったことはありませんでした。 でも辛いこと大変なことはたくさんありました。 特に主務になってからは大変で、ボート部のことを考えない日はありませんでした。コロナ禍が明け経験したことがない行事がたくさん復活しました。加古川レガッタ、神崎川レガッタ、総会、、、本当に分からないことが多く、作業に時間がかかりました。 それまでは先輩に指示された事をこなしてましたが、主務になってからは全部自分で考えて行動しなくてはいけませんでした。正直指示待ちしてる方が楽です。その方が今の 5 倍自分の時間ができます。 私は後輩を上手く仕切ることもできないし、士気が上がることも言えないし、計画的に資料も作ることができません。いつもギリギリになって焦って当日失敗することもたくさんありました。完璧にこなすことができない自分と完璧にこなしてた先輩を比べて悲しい気持ちになったりしました。 マネージャーの同期が居ないのも結構きつかったです。 11 月と 5 月は特に忙しくて、相談したくても誰にもできなくて、愚痴こぼしたり、同期をいっぱい頼りたかったけど、私以外選手なので申し訳なくて無理でした。綾菜ちゃんにはいっぱい話聞いてあげてください 😣 プレッシャーと責任もあり逃げる事もできず、ただパソコンに向き合い、メールを打ちまくり、電話をかけ、資料を出し、学校を往復し、沢山怒られるの繰り返しでした。 私自身が試合に出るわけではないのに、艇庫に居ない時、オフの時までボート部のこと考えれたのはみんなの事が好きだからだとおもいます。好きじゃないとこんなに他人のためにこんなに時間は使えないと思います。 たくさんバイトをしてお金貯めて遊びたかったです。 オールとか大学生っぽいこともしたかったです。 部活を気にせず就活もしたかったです。 でも何かを得たいなら何かを捨てないといけないです。私はみんなが試合で見せる笑顔を得たいです。 そのために色々捨てました。 私にと

最後まで一緒に

  「最後まで一緒に」 お疲れさまです。4 回生の黒田詩織です。 ラストブログと言うことで、私も 4 年間を振り返ってみます! 私は 1 回生の 10 月に授業で知り合ったりやくんに勧誘されました。そもそも大学で部活をするつもりはなかったし、ボートに興味無かったので一度は断りましたが、割と強引に艇庫見学に連れて行かれました。笑 艇庫では同期の男の子達 5 人とたまたま居合わせたマネージャーの先輩がとても熱心にボート部の話をしてくれました。結果的に、私はその時に出会ったマネージャーの方に憧れてボート部に入りました。彼女のようなマネージャーになりたいと思っていました。 マネージャーとしての活動にはとてもやりがいを感じていました。艇庫に行って、部員と接する事が楽しみでした。初めて同期から試合後にメダルを掛けてもらった時すごく嬉しか ったことを覚えています。部活外でも同期でお花見をしたり、六甲山に登ったり、誕生日を祝ってもらったり沢山思い出が増えました。 マネージャーとして 1 年ほど活動した 2 回生の冬。 なんやかんやありまして、マネージャーから COX になることになります。 COX になってからは、ダメダメでした。上手くできない事ばかりで、自分の弱さをたくさん実感させられました。一緒のクルーだった皆さん本当にごめんなさい。 チームのためになりたいと思って覚悟を決めたのに迷惑しかかけていなくて、大好きだった人達が怖い存在のように感じてしまって、艇庫への行き帰りの道で自然と涙が出てくる ようになって、部活を辞めたくて仕方ありませんでした。辞めた方が絶対楽になれたし、当時の自分にとってはよかったのかもしれないです。部活外の友人やあみちゃんと寿々子には何回も「もう辞める」って言ってました。2人にはたくさん弱音を吐きました。ごめんね。 それでも辞められませんでした。自分が一度決めたことを中途半端に終わりたくはなかったし、心配をして相談に乗ってアドバイスをくれた周りの方の期待に応えたかった。そして何よりもボート部のことが好きだからその環境からいなくなることが嫌だったんだと思います。 ポンコツな自分も時々褒められる事がありました。詳細は照れくさいので書かないですが、それらの言葉は私の支えになっていましたし、忘れることはないです。ありがとう。 他にも、艇庫にいると笑顔で挨拶をしてく

約7年間のボート人生

 約7年間のボート人生 井元寿々子です。 最後ということなので、4年間を振り返ろうと思います。 多分長くなります。 まず、私達の代はコロナ大流行期で入学しました。 なので、最初からzoomトレとか1人での練習が多かったです。でも、少しずつ艇庫で練習出来るようになって、同期も増えてきて、めちゃくちゃ嬉しかったです。 試合も開催されるようになったり、秋季優勝したり、嬉しいことがたくさんあり、気持ちも乗ってきてました。 でも、練習中にぎっくり腰になりました。 怪我した時、最年少がぎっくり腰とか笑えるわと思ってました。しかし、笑えなくなりました。ボート人生で1番苦しい1年間を過ごしました。 バイクばっかりしてました。正直楽しくなかったです。辞めたいとも思いました。でも、先輩・同期・後輩が声掛けてくれたり、練習してる姿とか試合出てる姿を見て、早く復帰したいって思いました。少しずつ腰が良くなって試合にも出れるようになって、2回生の秋季で100%とはいかないけど、復帰出来ました。その時に皆が良かったって言ってくれて嬉しかったです。特に詩織とあみちゃんには支えてもらったし、喜んでくれて嬉しかったんよ。 しかし、その約1週間後、私は交通事故にあいました。 幸いにも艇庫の前の交差点だったので、皆かけつけてくれました。真っ先に同期が走って来てくれて、ずっと声掛けてくれたり、救急車呼んでくれたり、見守ってくれたり、ほんとうにありがとう。 陸くんが私の約5m前に立ってたの覚えてるよ、緑色の服の印象があるんやけど、記憶違いかな笑 事故から1ヶ月間、安静にしていたら腰も完全復活してました。 3回生は男子にも協力してもらって、スイープに挑戦しました。正解が分からず模索しながらの練習で、皆心や体がズタボロになってましたね。あの時に挑戦してなかったら今はないと思うし、いい挑戦だったと思う。 関関戦周辺で謎にやる気のない時期も来ました。影でめちゃくちゃ心配されてたみたいです笑 未だに何があってそうなったのか分からんねんけどね笑 あと、高校1年生冬で出した2000TTのベストを初めて更新しました。何年かかっとんねんと自分でも思いました笑 4回生ではスイープ漕いだりスカル漕いだりしてきました。 まあスイープはペアしか漕いでへんけど笑 高校生の時はペアなんて絶対乗らんと思ってて、今乗ってるのが想像できなかった

最後に言わせて

 「最後に言わせて」   こんにちは。武井です。 今回がラストブログです。 気づけば引退まで20日を切りました。本当にあっという間でした。 ブログを書くにあたって、この3年間を振り返り、楽しいこと、辛いこと色々あったなと思い出しました。   知っている人も多いと思いますが、私は2回生からボート部に入部しました。それ以前は、バレーボールサークルに所属しており、体育会は全く考えていませんでした。しかし、大学生活を無駄にしたくないと考え直し、姉が紹介してくれたボート部への入部を決意しました。   入部当時は、ひたすら練習についていくことに必死でした。特に、私の天敵であるエルゴとは毎日のように戦っていました。毎回、心を折られながら苦しんできました。今でもボコボコにされています…。 また、水上に出るようになり、マメが痛過ぎて寝られなかったことを今でも鮮明に覚えています。 しかし、こんな辛い練習を乗り越えてこられたのは仲間がいたからでした。そのおかげで毎日艇庫に行くことが楽しくなったし、辞めたいなんて思いませんでした。 初試合では、メダルをもらうことができモチベに繋がりました。指導してくれた今井さんや光村には感謝しています。特に、光村は怪我を抱えた状態でエイトの整調として新人7人を引っ張ってくれました。本当にありがとう。   その後、新人フォアで優勝したり、関西選手権では対校エイトに乗せてもらったりと、大きな経験が出来ました。しかし、関西選手権の前日にエイトに穴を開けてしまったことは一生償うべき大罪でした。申し訳ありませんでした。人生で1番血の気が引きました。   そして、最高学年となり、迎えた初戦である西日本選手権。私は体調を崩していました。そのまま試合に出たのですが、思うように漕げず、その後の朝日レガッタにも悪影響を及ぼすほどのウイルスを拡散してしまっていました。ごめんなさい。 なんか謝罪ブログになってきました。笑   色々あって結局、最後までエルゴタイムが出ず、インカレには出られませんでした。もっと頑張っていればと、とても後悔しています。切り替えるのに時間はかかりましたが、今ではオッ盾に向けて頑張っています。3年間の集大成として、最高の漕ぎをお見せします!   ここでやっと題名の話題に入ります。長くてすいません。 最後に言わせて欲しいことがあります。それは、 「やっぱりボ

かけがえのない大学生活

 「かけがえのない大学生活」 早いものでもう引退まで残り少なくなりました。 1回生の時初めて試乗会でエイトに乗って、右も左も分からない中、後ろの先輩に横腹えぐられた記憶が今でも鮮明にあります。 あの時は痛みどころではなく、爽快感に感動してしまい、即入部を決めちゃいました。 のちに先輩が「そんな簡単に決めていいの?(笑)」という言葉の意味を知ることになるのですが、、。 最初はどんなメニューも楽しくて次何が来るんだろうと胸を躍らせて艇庫に行ってました。 タバタキャンペーンなんてものを何日も続けていました。 毎日艇庫に行くことがただただ嬉しくて、それはきっとみんなも一緒で、本当に楽しかったです。 そこから大尊敬する先輩方と初めての試合を迎え、数々の怪我をしたり、毎日手がボロボロになって寝れないくらい乗艇したり、初の対抗エイトに選ばれたり、書いたら書ききれないほど色んなことがあって、大学生活の全てがここにあると言っても過言ではないほど充実していました。 その中で特に忘れもしないのは、2回生の同期で4+を組んで出た秋季選手権大会の帰りです。全日新がコロナで中止になり、同期で試合に出ることはないのかなと思っていたところで、先輩方と監督コーチ陣に組んで頂き、臨んだ試合でした。でもその試合は期待に応えることができず、呆気なく1日目で終わってしまいます。あの時の悔しさは今でも覚えています。その後に事件は起こります。淡路駅前で一緒に乗ってた同期と本気の喧嘩をしてしまいました。終電も過ぎて時間も忘れて、お互いの言いたいことを思う存分ぶつけ合いました。あの時、たまたま通りかかった先輩に止められてなかったらきっと朝まで喧嘩していたかもしれません。 なんでこんな話をしたかというとそれだけ情熱を持ってボートという競技に向き合っているんだなって思ったからです。当時は初めてたった1年ちょっとしか経っていないのにも関わらず何時間も話せるほどに。 だから後輩たちにも自分達以上にボートに熱中して本気で引退まで取り組んで欲しいです。 色んなことがあってトレーナーとなった今、自分の言葉に説得力があるかはわかりません。でも、自分の選択が間違っていなかったと思えるように、全員が『熱狂』して目標の『インカレ入賞』を達成できるようサポートする、これが自分に残された使命だと思い、最後まで関大ボート部員として一緒に戦わせ

神崎 friends forever

 「神崎 friends forever 」 すみません、今まで皆んなに嘘ついていたことがあります。 いきなりですが、同期の奴らにも後輩にも誰にも話したことない暴露をしたいと思います。 実は僕、高校時代は帰宅部でした。 いままで黙っててすみません まあ、正確には高2の春にスキー部を退部しました。 理由は挫折ってやつです。自分は小さい頃からスキーをやっていて、中3の時には検定1級も取り、自信満々、ウキウキで高校入学後アルペンスキー部に入りました。競技スキー自体は初めてでしたが、ある程度技術もあったので、高1の冬には関東大会にも出ることができました。 しかし、結果は惨敗。やはり競技スキー新参者が経験者に勝てるわけもなく圧倒的差を感じてしまいました。なにより、経験者で普段の練習をろくにしないような同期の奴が表彰台に立っていることが悔しくて仕方なかったです。どんなに普段の練習、自主トレを頑張っても、結局クラブチームに入ってて、一年中スキーしてるような技術あるやつらには勝てませんでした。 残りの2年間でこの差は縮めることは無理だと確信してしまい、辞めることを決めました。 だから僕は、皆んなみたいに絵に描いたような青春の時を過ごしていません。みんなの高校時代の部活の話を聞くと正直、羨ましくてしょうがなかったです。あの時退部した自分を何度も悔やんだし、高校時代に何かに打ち込めるものがなかったことは死ぬまで後悔し続けると思います。 それもあってか、大学生になっても何か心残りがあり、せめて最後の学生生活ぐらい何かに熱中したいという思いが強くありました。そこで目に止まったのが、「スタートラインは皆同じ、未経験から日本一へ」このひとことを見てボート部に入ることを決意しました。 長くなりましたがこれが僕の本当の入部理由です。 4年間ボート続けてきて、辞めたいと思ったことは星の数ほどあります。 毎朝4時半に起きて、道端で酔い潰れてる大学生を横目に練習に向かい、他の大学生が寝ている時間に練習し、練習終わったら眠い目擦りながら1限に向かい、授業終わったら午後も練習、夜は艇庫で臭ぇ奴らと密になって寝る。知らない人が聞いたら信じられない生活を毎日毎日送っていますが、これが僕らの日常なんです。上辺ではきつい、しんどい、やめたい、と思いながらも、心の奥底では、「こうでもしなきゃ関東勢には勝てない、絶対イ

ラストブログ

 「ラストブログ」 4回生 長島 お疲れ様です! まさかのラストブログのトップバッターを飾る4回生の長島です。川上君は、早くブログを出しましょう。 最初の写真は、入部初日に、いもっちゃんの誕生日祝いに鉢合わせた時のものです。同期全員と全く仲良くなってないのに、一緒にケーキを食べました。あの時の気まずさは、今でも鮮明に覚えています。しかし、今となってはいい思い出です。 2つ目の動画はボート部に入って1週間くらいの時、巧とダブルに乗った時のやつです。同じ動きをすることに非常に苦戦しました。あの時よりも、今上手くなっていることに、嬉しさを感じます。 今後、同期がラストブログで、ボートに役立つ知識や知恵などを拡散してくれると思います。なので、私は一風変わったブログにしようと思います。私のラストブログの形式としては、過去の先輩たちに倣って、自らの過去の振り返りを行いたいと思います。 では、早速、振り返っていきます! 1年生 10月の中旬にボート部に入部しました。入部する時期が遅かったので、周りと馴染めるか不安でした。しかし、皆優しく接してくれたので、仲良くなれました。嬉しかったです。 その1ヶ月後の11月に初めての試合に出ました。初めての2000mの試合だったので、とても疲れました。だけど、楽しかったです。 新型コロナウイルスで部活が1ヶ月できない時がありました。家の周りを走ったり、皆とzoomで繋がって、一緒にトレーニングしました。大変でした。 2年生 皆と海に行ったり、山に行ったりして毎日いっぱい遊びました。思い出をいっぱい作りました。楽しかったです。2年生の時は年間通して、2試合しかできなかったけど、充実していました。 夏に、初めて2000tt7分カットして嬉しかったです。 3年生 今まで出たことない大きな大会に出て、いっぱい緊張しました。いい成績を出すことができて、嬉しかったです。 3年生の夏頃から、どんどん体も大きくなりました。ちょっとムキムキになりました。 3年生の10月に最高学年になりました。大人になった気分になりました。 スーパーマーケットでバイトを始めました。大変でしたが、いい経験になりました。 4年生 就活と部活との両立が大変でした。でも、頑張りました。 ミー3に新しいベッドが届いたので、いっぱい寝ました。気持ちよかったです。 今まで風邪を引く機会が全くな