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ラストブログ

 「ラストブログ」



お疲れ様です。4回生の落合です。


気がつけばこのブログも書くのも最後になっていました。

最後のブログは自身の4年間について振り返ろうと思います。


僕は高校時代に小1から続けてきた剣道を高2の時に辞めてしまいました。理由は色々あるんですけど、とにかく心が完全に折れてしまいました。人生で初めての挫折でした。

このことから大学では何か一つ頑張りたい、やり抜きたいと想い、部活に入りたいと思っていました。そんな時、高校からの友人の力丸に誘われていたボート部の試乗会に参加しました。試乗会では水上での非日常感に感動して、ほぼ勢いで入部しました。

これが僕の4年間のボート人生の始まりでした。


入部した当初はがむしゃらで、練習や新生活など、全てのことが新鮮で楽しかった記憶があります。コロナの制限が少しづつ緩和されてきて、部活でできることが増えて、それもあってか非常に楽しかった記憶があります。


1年生の冬頃からは、早朝練がはじましました。朝5時集合を初めて聞いた時、異常を感じて、当時新人指導に携わってくれた先輩に電話で早朝練の異常性について、熱弁した記憶があります。「俺の目が黒いうちは5時集合なんてさせねえぞ」と思っていましたが、見事に白目を剥かされました。気づけば甘んじて受け入れていました。


2年生の頃は、オッ盾で初めて戸田を経験しました。

ここでは様々な大学の熱い戦いを目の当たりにして、インカレに対する気持ちが強くなったと思います。

加古川レガッタで、ゆうきとのダブルスカルで、3位になれた時は少しだけ部の戦力になれた実感がありました。


そして3年生の時が、自身のボート人生で最も成長できた年でした。

関西選手権が終わり、インカレの選考が始まろうとしていたとき、当時の僕のベストタイムは「7:07」。まだ7分カットをできていませんでした。

ここでインカレに出場して、強い人達と戦う経験をしておくべきだと強く思っていたので、ほぼ毎日、乗艇後にエルゴに向かって足を運びました。

その結果、「6:57」を出して、なんとかインカレの出場切符を手にしました。


そして、インカレでは、100代のようじろうさんとダブルスカルで出場しました。ようじろうさんとはこのシーズンでは西日本からインカレまでずっと一緒のクルーでした。彼はこのシーズンはイップスみたいな状態が続き、中々うまくいかないことも多かったと思います。ただ、最後まで諦めずにバウから僕のことを励まし、支えてくれました。

インカレの結果としてはD決勝4位。絶妙な順位ですが、それでも今までやってきたことが、戸田勢や強豪校に通用したことが何より嬉しかったです。


そしてその後の加古川レガッタでは、シングルスカルで5位入賞しました。これも絶妙な順位ですが、多くの経験者と戦って最後まで勝ち抜けたことは僕の大きな自信となりました。


4回生になってからは、西日本選手権の前は肋骨の怪我をしたり、関西選手権は就活の最終面接で棄権せざるを得なかったりと、あまり調子は良くない状況で現在に至ります。


以上が僕の4年間でした。


この4年間で自身が為せたことは、何度も逆境から勝ち上がったことです。


僕は身長が小さく、運動神経も良いわけではありません。やっぱり主力になる前までは、誰からも期待されていないことを肌で感じていました。一年生の頃から、エルゴは回らず、同期にもどんどん差をつけられていました。先輩や同期がどんどん結果を残し、高いレベルに登って行くことは嬉しい反面、俺は何をしているんだと悔しくなりました。

そこで自分はテクニックを高めることに勝ち筋を見出しました。パワーが弱いなら、艇へのマイナスの動きを極限まで減らし、体が小さいなら、漕ぎの回転数を上げるなどの工夫をしました。

その結果、シングルスカルの並べでは、先輩とほぼ対等に並べられたり、現在では、経験者の部員とも切磋琢磨出来るようになりました。ただ、一つ心残りがあるとすると、エルゴはもう少しタイムを上げるべきだったかなと感じます。やっぱり、いくら技術を磨いても、クルーを決める時には、結果として見える物。つまり、エルゴタイムが重視されます。自分は選ばれる選手ではあっても、選ばせる選手ではなかった。後輩達には、どちらかだけでなく、エルゴとテクニック。この両方は同時に高めて行ってほしい。


長くなりましたが、ここまで頑張ることができたのはベタですが、仲間の存在です。


まず高校時代に力丸に出会っていなければ、ボート部には入っていなかったかもしれない。ボート部に入ってなかったら、同志、若松大先輩との奇跡の邂逅は果たせなかったかもしれない。他の同期達も然りですが、最後まで一緒に戦えて本当に嬉しい。

本当にありがとう。


そして去年のインカレ。ようじろうさんが最後まで諦めずに共に戦ってくれたおかげで今の自分があります。本当にありがとうございました。

あみさんとゆずちゃんもありがとうございました。ダブルのおもしろPVは自分の宝です。

佑介さん。もう覚えてないかもしれないけれど、「お前と一緒に出たいよ」と声をかけてくれたことが自分の中では本当に嬉しくて、最後まで頑張ることができました。本当にありがとうございました。


庵床さんをはじめとする新人指導に関わってくださった先輩方。もう遥か昔のことかもしれませんが、先輩方が教えて下さったことが今の礎となっています。本当にありがとうございました。


後輩の皆々様。いつも話しかけてくれてありがとう!つまんない先輩やったと思うけど、いつもぜんさんぜんさん言うて話しかけてきてくれて嬉しかったです。これからも応援してます🔥


と、本来関わってくれた全ての人に感謝を伝えたいところですが、この辺にしておきます。そのぐらいやっぱり体育会の繋がりは大きい。


大学4年間という人生の夏休みを同じ屋根の下、共に戦った記憶はずっと忘れない。ただの友達じゃなくて、本気になったからこそ、仲間でいられると実感しています。


またみんな漕艇部150周年式典くらいで会いましょう。


つきフォアへ

はるなちゃんといっさ

2人のおかげでつきフォアは少しずつ強くなっています。最後までサポートよろしくお願いします!


聡一郎、智希、裕次郎、一樹

自律神経すぐ乱れてダルい先輩やったと思うけど、最後に一緒に乗ってくれてありがとう!

インカレの経験を糧に次の代でも更に高みを目指してくれ。


だいぶ長くなりましたが、終わります。

インカレも頑張りましょう!


101代 落合 善

コメント

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