103代主将の宮前千洋です。 まず初めに、いつも関西大学漕艇部を応援してくださっている皆様に心より感謝申し上げます。 とうとう、ラストブログを書く学年になりました。3年前の夏100代の先輩方が戸田から更新するブログを一人で家で読んでいたのが懐かしいです(笑) きっと長いです。書ききれな程いろんなことがあって、思い出しきれないほどたくさんの思い出が詰まった4年間です。 最後に私が主将として、できることは私が感じてきたことを残すこと。 長いかもしれないけど、一言でも一文でもが大切な部員へ、これまで支えてくださった方へ届いたらいいなと思って書きます。 ボートとの出会いは小学生?でした。 小学校の前にある川でいつも高校生が練習をしていて「おーーーい!」と橋の上から声を友達とかけていたのが最初の出会い。まさか数年後に水上で手を振る側になるとは1ミリも想像していませんでした。 そこから地元の高校に入学。当時はコロナ禍真っただ中だったのですべての部活動紹介が映像で、直接先輩方の姿を目にすることはできませんでした。 ただ、そこで一糸乱れぬボート部の映像が私の目には驚くほど輝いて映って、周りは「ボートはかっこよかったけど、入るのは・・・」という雰囲気の中体験入部に行くことを決意します。 ボートという未知のスポーツに飛び込むこと、それが安定志向の私にはとてもハードルが高かった。でも初めてボートの映像を見たときの感動や体験入部で感じた部内の誰もが夢中になって何かを追っているそんな姿が忘れられなくて、ここなら大丈夫かもしれない。この仲間たちなら一緒に頑張れるかもしれない。そんな直観を信じてみたくて入部を決意します。この選択が私の初めての直感で決意した瞬間でした(笑) (そしてここで3年間同じクラスであり7年間のボート人生を共にする心菜と出会います笑) 高校時代のことを書くと長くなりすぎるので割愛しますが、本当に毎日に夢中。「一生懸命」以外の言葉は知らないのか?って思うほどの偉大過ぎる仲間に出会えて、そんなみんなと頑張れるあの時間が大好きでした。インターハイでも賞状をもらったり、近畿ではほぼ負けなしだったあの環境はきつかったけど楽しかった(笑) 性にあったコックスを入部から引退までやり遂げて多くの人と出会えて本当に私という人間を形成してくれた3年間。引退レースでもうやり切った!ボート...
お疲れ様です。 103代、副将の太田心菜です。 (寝落ちしていて起きたらこの時間になっていました。深夜投稿すみません。) 私の一日は、朝5:30からメトロノーム74bpmで始まります。 リズム音痴の私が、テンポを外し変なリズムで数え出し、 70の次を60と数える愛ちゃんを、全員で軽く睨みながら訂正すると言う可哀想な現象が起き、 ストレッチ中、ヨガマットをベット化している智砂ちゃんや茉友加が隣にいて、 ルーティンの鬼と化した菜月が、半年間同じ曲を流し続け、自然と韓国語の歌を覚えてしまい、 乗艇が終わると、艇庫爆睡仲間のつっきーと実紅ちゃんがいて、 目を擦りながら気合いで起きて、ボートを漕ぎ、帰って、家事をして、寝るというそんな日常でした。 正直そんな日常がなくなると、刺激もないし、何をしたらいいかわからないし、想像もできなくて怖いです。 でも、こんな同じ日々を続けられるぐらいボートは魅力的で、大好きなんだなと心から気づかせてくれます。 そして、神崎にいるみんながその日常に彩りや刺激やらを付け足してくれてるんだなと思っています。ありがとう。 今日は、そんなみんなへの感謝を込めて正直な想いを書きます。 長いけど時間のある人は見てくれたら嬉しいです。 _____________________ 私自身、あと数日で7年間のボート人生に一度終止符を打つことになります。 4年間を振り返ると、想像していた大学生活とは異なり、選択と失敗の連続だったと感じています。 高校時代は、先生方と仲間達に恵まれ、国体・インターハイ共に入賞し、大学ではそれ以上の成績を残したいと思い、競技を続けることを決めました。 大学選びは迷いましたが、2個上の直属の先輩である花歩さんに憧れて、関大に決めました。 マイナスな感情を抱くことも多くありましたが、それでもボート自体は大好きで、「速くなりたい」という気持ちだけは常に持とうとしていた思います。 時期は覚えてないけれど、SF生がどんどん辞めていって、私も違う場所でしたいなと本気で考えるようになりました。 当たり前のことが当たり前じゃない現実。 例えば、リギングをせずにハチャメチャリギングで出艇していったり、ナット締めずにゆっるゆっるのまま漕いでいたり、ウマが開いてなかったり、、、、 自分のこだわりを享受されない現実でもあります。...