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10月, 2021の投稿を表示しています

やり切る

こんにちは。98代主将の髙橋寛史です。 明日、ついにインカレのタイムトライアルがあります。今年は早めに戸田入りしたので、戸田での調整も十分に行うことができました。 「全員がインカレ最終日」という目標、「摑む」というスローガンを立ててから1年間、色々なことがありました。やはりコロナによる活動制限は大変で、思うように活動できないことに不安になることも多かったです。そんな状況でもzoomでのミーティングやドキュメントによるトレーニングの共有など、前向きに行動し続けたことは自分にとって自信になっています。またコロナによって短かった冬トレの期間で800kmを漕ぎ切れたことも大きな自信の一つです。大変なことは、それをのりこえた分だけ絶対に自信に繋がります。 対校フォアのストロークとして3ヶ月、自分たちのビジョン・ミッション・バリューを決めてから始まったクルーは、お互いに意見を出し合いながら日々確実に強くなってきました。まさにインカレ最終日を摑むためにベストを尽くしてきたと自信を持って言えます。 今までやってきたこと、一緒に頑張ってきた仲間を信じぬく。そしてレースでベストを尽くす。 あとはそれだけ。やり切る。 98代主将 髙橋寛史

最後は気持ち

「最後は気持ち」   渡邊 響 「頑張らないと。まだいける。諦めるな。腹をくくれ。びびるな俺」そう言い続けたラスト1年。きつくて、きつくて、つらい。そんな競技だった。でも最高な競技だった。特にインカレが近づくと神埼で過ごす一日一日、神埼から家までの一日一日すべてが大切に感じた。でもそんなことは関係なく練習はいつまでたっても本気できつかった。ここだけの話、何回も十三から淡路までの電車でゆずの「栄光のかけ橋」を聞きながら泣いたことだってあった。それだけ練習を頑張ってきたからこそ2000TTの前日なんか4年になっても毎回緊張で死にそうだった。そのくらいラスト1年はきつかった。それまでの3年間なんて比にならないくらい。 でも逃げなかった。絶対に逃げ出したくなかった。逃げ出したくない原動力があった。それは「最終日への憧れと理想の自分」だ。 とある練習時。一度だけゆーすけに注意された時があった。あるエルゴメニュー(ステアーズ)できつすぎて途中にもかかわらず止めた時があった。いつも通り、きつすぎたから無理って思っているとゆーすけが来て「なんでやめたんですか。最後までちゃんとやりましょうよ」と注意してきた。自分の中でもう無理だと思っていたので「きつすぎた」と答えた。そしたら「関係ないっす。やらないとだめです」って言われた。すごく心に響いた。ほんとに惨めだった。「きつすぎた」と答えた自分自身が恥ずかしかった。それほど衝撃を食らった日だった。ボート競技において勝つために必要な選択は「やるか、やらないか」。そんな単純な選択ができていなかった。でもその日以降、絶対にきついことから逃げないことを自分に誓った。きついことを越えた日々が積み重なった先に間違いなく「新しい自分」が待っていると思えた。正解かはわからないが、それこそが「理想の自分」だと思った。 漕艇部に入って4年。いろんな人と出会った。いろんな価値観と出会い、身についた。一日一日は何気なく過ぎていくように思えるが今になって振り返ると本当にいい経験だった。その一つ一つが僕の人生の中で「誇り」となることは間違いない。でも「もっとあの時こうしておけばよかった」という後悔もたくさんある。願いが叶うならもう一年漕艇部で過ごし、できなかったことをできるようにしたい。でも人間は常に未発達でそういう思いを背負い、反省し、進化していく生き物だ。この漕艇

繋ぐ、想い

こんにちは。 4回生、女子リーダーの古賀陽菜です。 ついに、今日で神崎でのラスト練習を終え、明日いよいよ戸田入りします! この1週間は、何をするにしても「最後か~」と、寂しい気持ちと、ジワジワ引退が迫っているのを実感しています。 ラストブログでは、私の関大ボート部での4年間でもっとも印象的だったことを綴りたいと思います。 私はこれまで、何かに熱中して、悔しくて泣いたりすることがほとんどありませんでした。 でも、唯一2回生で出場したインカレで、本当に悔しくて大泣きしました。 初めてのインカレ、初めての戸田。先輩についていくことしかできず、自分のことに精一杯でした。 いざ、予選のレースがスタートし、数本で差をつけられ、気づいたら隣の艇は見えなくなっていました。 結果は、敗者復活戦敗退。 関東勢との、圧倒的な実力の差を感じました。 私がそれまで経験していた世界は、とても狭く、先輩方が掲げていた『インカレ最終日』が、私にとって程遠いもののように感じました。 本当に悔しかった。たくさん漕いで、きついメニューも乗り越えてきたのに、力及ばず。気づいたら、レース後のミーティングで涙が溢れていました。 ミーティングで、4回生の先輩が 「悔しい結果だったけど、やれることは全部やってきたよね。来年頑張ってほしい」 と伝えてくれました。 この想いは、しっかりと繋げていかないといけないと心から思いました。 多くの先輩方が、『インカレ最終日』を目指してきました。叶えられず、悔しい思いをしている姿もたくさん見てきました。 先輩方の想いを背負って、私たちも『インカレ最終日』を目指してこれまで練習に励んできました。 たくさんの方の応援を胸に、今年のスローガンの通り、勝利を『摑』んできます! さらに、厳しい選考の末、インカレに出場できなかったメンバー、応援に来たくても来れないメンバー、それぞれの想いをしっかりと繋いで、代表としてこれまでの練習の成果を発揮してきます。 コロナ禍で、多くの人との繋がりを感じました。 先輩方の想いを繋ぎ、しっかりと結果を残し、後輩へとバトンを繋いでいきます。 長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。 これまで関わってくださった方々、本当にありがとうございました。 こんな素敵な環境で過ごせたこと、貴重な体験をさせていただけたこと、本当に幸せです。 最後

ラストブログ!

こんにちは! 4 回生の苗代です。 インカレが延期されて残り 68 日まで延びたのが、 6 日後にはインカレのタイムトライアルが行われてるって思うと本当に一瞬です! 当の僕はと言うと、最後のインカレ出れませんでした。いわゆる小艇で出場するためのエルゴタイムの足切りというやつですね。 関西選手権が終わってからエントリー締切までの約 3 週間エルゴをほぼ毎日引き続けました。 数えてみたら 2000tt も最終的にその 3 週間で 8 回ひいてました。だいたい 2 日に 1 回とかのペースですかね。 なんであんなしんどいもんを 2 日に 1 回も出来てたのか今考えてみると本当にわかんないです。 たぶんあの時はインカレに出場することしか見えてなかったし、だいぶ体力的にも精神的にも追い込まれていたんだと思います。 結果的に基準タイムまであと数秒足りなかった。 これは本当に自分が悪いです。 あと数秒。されど数秒です。 そのタイムが切れなかったら出る資格もないのです   高校時代も最後の大会のメンバーに入れなくて悔しい思いをしたのに、大学でも最後の大会に出場できなかった。 弱い自分を変えたくて入部したボート部でも、また同じことを繰り返して何も変われてない自分にすごい嫌気がさしました。 7/22 に最後の tt を引き終わって、みんなになんて伝えよかなーとか考えながら階段降りて タイム切れなかったことを伝えると、 みんなが「よーがんばったやん」とか「ほんまおつかれさん」っていう言葉をかけてくれました。 その言葉に本当に救われました。 もちろん自分が最後のインカレに出れない申し訳なさもあったけど、これまでの頑張りをみんなが認めてくれたような気がしてその言葉ひとつひとつが凄い嬉しかったです。 ほんとボート部はいい人しかいないね。ほんと 僕はインカレに出れないけど、出場するみんなには本当に 1 秒にこだわって練習してほしいです。 その数秒で自分みたいに後悔して欲しくない! あの時、もっとああしとけばよかったとか後悔のないように神崎の残り数日の練習であったり戸田での乗艇に取り組んでほしいです! 本田さんも昨年言ってたけど「神頼みをするのは最後!」 発艇台つけるまではやれること全てやり切ってインカレに挑みましょう! あ、あと 4 年間 1 回も辞めたいって思わなかったのは紛れもなく同期のおか

最後の学生スポーツ

こんにちは!4回生漕手の菊井杏菜です。 2018年5月から始まったボート部生活もあと2週間で終わってしまうというところまできました。 色んな事を感じたり、考えたりした3年半でした。 今まで色々なスポーツや部活をしてきましたが、途中で辞めたいと思ったのはボート部が初めてでした。 でも振り返ってみると、競技としての楽しさや人の良さ、やってる時の自分自身のキラキラ度など、ここが1番だったなと感じます。 また、ボートという競技は他の競技に比べて才能や運動神経ではなく努力のリターンが大きいところも他のスポーツとは違っていました。 3回生の冬ごろに身をもって、やっと体感しました。 だからこそインカレの足切りタイムにまだ届いていない人はぜひ、今から来年自分自身が出場している姿を想像して基準カットを目指してほしいです。 今からやれば絶対にいけます! 出られた方が絶対に楽しいです。 ボートを通して、私に関わってくれた全ての人に感謝でいっぱいです。 あと2週間、自分にできることを精一杯頑張ります!

やり切ろう

 お疲れ様です!4回生マネージャーの加藤です! ちょっと前に後輩から「かとりかさん同期に恵まれてます」と、LINEをもらいました。 いやーーー、そうなんよなぁ、それだけはホンマに。19人ひとりひとりが私の自慢の98代なんよ。 と思うと同時に、恵まれたのは同期だけやないんよなぁって思いました。 4年間を振り返るほど、本来支える方の立場であるはずが、いつの間にやら誰よりも支えられてきた気がします。 インカレで勝つために練習する人はもちろん、インカレ出場を最後の最後まで諦めなかった人、考えに考え抜いた言葉でクルーに寄り添う人、誰も気にとめないところでも支え続ける人、安心して練習できる環境を整える人、未来の関大を強くするために練習に励む人、、、 年齢問わず、一つ一つの死ぬほどかっこいいみんなの姿のおかげで、ここまでやって来れました。ありがとう。 それだけでもう満足、思い残すことなく引退できます とまでは、まだ思ってません。すみません。 それはまだ勝ってへんからです。 ここで負けたら悔しさしか残らんってのは歴代の先輩も話す紛れもない事実です。ほんまに。 勝つために、最後の最後にマネージャーが出来ること!それはあと0.0何秒をあと数cmを追いかけ追い抜く力になれるよう、誰よりもクルーを信じてレースと向き合うことだと思います。 このワンシーズンに懸けた全員の想い、期待、応援、積み重ねた努力を力に、共に戦い抜きましょう。 一日でも長く漕ぐみんなと一緒にいられますように。 それでは! 98代副務 加藤 里香

4年間

 4回生の高松拓海です。 最後はボート部での4年間について書こうと思います。  4年間は本当に一瞬でした。 もう引退なのは正直驚いています。  なんで自分が一瞬に感じたかというとボート部での一日一日が充実していたからだと思います。  毎日、艇庫に行き、本当にしんどい乗艇・エルゴの練習をして、家に帰る。寝る時間は練習で疲れて、11時までには絶対寝てる。合宿の時は山盛りのごはんを食べ、5時起きで朝から乗艇。オフの日は大体バイト。  この生活は理想としていた大学生なのか、なんでこんなにしんどいことをしているのかと考えることも少なくありませんでした。  でも、本当に毎日楽しかったです。同期とはエルゴ・乗艇終わりに今日はやばかったとか話したり、しょうもない話で盛り上がったり、練習後にどこかに行ったりと、ほぼ毎日一緒に過ごしてきました。  しんどい練習があってもそれらの時間が本当に楽しかったので、また次の日も行きたいと思うことができました。なので自分は本当に辞めたいと思うことが一度もありませんでした。  4年間充実した毎日を送れたのは同期のおかげだと思います。本当にありがとうございました。これからもよろしく。 艇庫に行けば、部員のみんながいて、家みたいな安心感と居心地の良さがあります。もう、1回生・2回生・3回生・同期と会えなくなると思うと、寂しいです。  素晴らしい4年間を過ごすことができました。後輩へは4年間を関西大学ボート部で過ごして良かったと思えるように毎日を大切にして過ごして欲しいです。 4年間本当にお世話になりました。 これからも応援しています。

私の青春

 ラストblog、4回生金子です! 私は結構、他の同期より部活を辞めたいと思ってた回数が多い人だと思うので、同じように辞めようか悩んでいる後輩の子がいたら、参考程度に聞いてほしいと思って書きます。 練習に対してやる気バリバリ、モチベMAXの人、自分のペースでいい感じに頑張れている人はそのまま一緒に頑張りましょ💪💪 私が一度退部を決意したのは、2回生の冬くらいで、勉強と部活の両立に限界を感じたからです 「勝つためにこんなにしんどいメニューをしないといけないなら、勝てなくてもいいから休みたい」と本気で考えるくらい追い詰められてました。高宮さんにもよーじろーさんにも辞めます、といって2週間くらい練習も休んでました。 それでも、なぜ今ここにいるかというと、 人が好きだったからです。 辞めて、みんなと疎遠になるのが単純に嫌でした。だから、私が部に戻ってきたときの感情としては、勝つために必死で練習してる人もいるだろうけど、私はみんなと居たいから、部活をする。試合で負けてもいい。という感情です その考え方になってから、エルゴでタイムが出なくても、別に私は勝つためにやってるわけじゃないし、と思うと辞めたいとは思わなくなりました。 そして、気づけば勉強もひと段落つき、エルゴでタイムが出なかったら悔しいと感じ、がんばるか、と徐々に思えるようになりました。 そして少しずつ(3.4回生頃から)勝ちたい、勝つためには追い込んだメニューをしたい、という思考にやっとなりました。 同じ目標を掲げているとはいえ、色々な学年の人がいて、色々なモチベーションの人がいるのは当たり前だと思います。 だから、ちょっとしんどいなーとおもうときは、私みたいに一度ドン底になってしまったら、考え方を変えてみたりしたりして見て欲しいです。部活を続ける理由なんて、人それぞれです! そうして、気づいたらまた頑張れるようになってます。 少しでも参考になったなって子がいたら嬉しいです。 そして私は4年間、 目まぐるしく変わる自分の感情と向き合いながら、 ついにあと15日で引退という状態に来てしまいました。 昨日、素敵なPVも見て、モチベMAX状態です。 素敵な仲間と全力を出し切れるよう 悔いのない1日1日を過ごします!

仲間って最強

 4回の古川です! 最後のブログでボート部で良かったことを話します。 体育会系はありえないと思っていたのに、試乗会で楽しそうと思って入ったボート部。 入部当時、同期のマネージャーは8人居ました。 みんなそれぞれ他にやりたい事ができて、2年生の秋頃には里香と2人になってました。本音を言うとあんまり里香と2人きりで話した事ないからこれからが凄い不安でした。多分里香もそうだったと思います。 そこからなぜ深い話をできる仲になれたのかはあんまり覚えてないです。互いを支え合う機会が自然に増えたからかな。相手が忙しかったらストレス発散できる機会を作ろうって自然と考えてたんだと思います。 その後せんちゃんもマネージャーに加わってくれて、ひびちゃんが主務を務めてくれました。98代に代替りした当初は上手くやっていけるか心配でしたが、3人には本当に"ありがとうしかない"って思います☺️ この3人だけじゃなくて、同期のみんな、可愛い後輩のみんな、先輩に支えてもらって3年半やってこれました。ありがとございました! インカレまであと16日🔥 みんなで駆け抜けましょう!

「ローイングの楽しさ」

お疲れ様です。4回生の麻植遥伽です。   最後のブログは何を書こうかと悩みましたが、ボートについて書こうと思います。 みんなは「ローイング」というスポーツそのものを日々の練習の中で楽しめていますか? 私は初めの頃はローイングが楽しいというより、大好きな先輩・同期がいたから部活は楽しかったし、辛い練習メニューやスケジュールでも頑張れました。 2 回生に出た関西選手権までは一つも勝ち進むことができていませんでした。でも、 2 回生の全日新で初めて勝ちを経験したのをきっかけに、やっとボートって楽しい!!って思えるようになり、ローイングの魅力に気づくことができました。 私は艇自体を動かしているドライブやすぅーと進んでくれるフォワードの感覚、音、そして艇からの景色が好きです。 非日常のレースだけでなく、日常の練習の中でもあぁ楽しいなって思えることも必要ですよね。 楽しんでスポーツしている人は、キラキラしてカッコいいし、ステキだと思います!! 成長や達成に対する喜びだけでなく、ローイングそのものを楽しめることも大切だと思います。 こんな楽しさを知れたのは、コーチのおかげです。 先輩たちが作ってくれた女子ローの練習の雰囲気づくりを心がけることはもちろん、後輩にローイングそのものの楽しさを少しでも伝えられるように残りの生活過ごしていきます! 最後まで読んでいただきありがとうございました!!

『感謝』

こんにちは。4回生の堀圭輝です。僕は思い出に残ったことを書こうと思います。 個人的に1番思い出に残ったのは、ラストTTまでの2週間です。その期間は毎日TTをし、今日はどこが悪かったか。自分はどんな攻め方をしたら楽にタイムを維持することができるのかなどを分析してやってました。まぁ最初からやっとけよって話なんですけどね…後輩、同期、監督、マネージャーの方々、最後まで応援してくれて本当にありがとうございました。 今思い返してみると、中高はなぁなぁでバスケをしていたので真面目にスポーツに取り組んだのはこれが初めてなんだと気づいてびっくりしました。その分試合に負けたらめちゃくちゃ悔しかったし、緊張してました。このことは大人になっても間違いなく忘れません。 ボート部に入って色んな人と関わり、イベントを一緒に過ごしてその人の価値観を知れました。 サークルに入ってたらまたなぁなぁで過ごして絶対人生無駄にしてたと思います。まぁ単位がいっぱい残ってるので人生無駄にしてますが… 頑張って減らしていこうと思います笑 最後に一言だけ言います。 『本当にありがとう』

紡ぐ

  4 回生の石原大河です。 正真正銘の最後のブログなので軽く 4 年間振り返ってみたいと思います。 最初は今健さんの代の和久井さんに声を掛けて頂きました。声を掛けたワケは僕が少し焼けててなんかスポーツやってたっぽいってのが理由らしいです。色白の子やったらどーなっていたのか定かではないです。 その後浜寺杯での惨敗からボート部の人生が始まりました。整調ペアのシートが試合中に何回も外れまくる訳分からんレースでの幕開けでした。そして加古川レガッタと漕手の歴史を紡いでいきました。あの時のこーすけの熱いコールは今でも覚えています。 冬練には肋を怪我していてそのまま cox になりました。最初はそこまで乗り気で無かったのですが、何やかんやもう最後まできました。そして cox として酸いも甘いも経験させていただきました。色々揉めた西日本フォア、初めてのメダルを取った浜寺杯、そして初めての戸田、オックスフォード盾レガッタ、問題児だらけの加古川エイト、たくさん船を傷つけてしまったこともありました。 3 回生になるとコロナがやって来て、長い休止期間がありました。この期間が開けると西日本、関戦に向けてのフォアが消えていました。正確にはメンバーが消えてました。そして無職になった僕はゆーすけ達の代の新人指導を手伝わせていただいて冬のレガッタではメダルまで到達できました。 そして今年度の関西選手権のエイトがありました。僕にとってトップのカテゴリーでの初めての試合だったのでかなり緊張したのを覚えています。何度やっても試合の緊張は無くならないと思います。 振り返ってみて僕の転機は cox になってから、ないしは 2 回生からかなと思います。その頃から本田さんがコーチとして来てくださり、関大ボート部は新しいスタートを切ったと思います。あくまでぼくの肌感覚ですが、あの頃から関大ボート部の戸田への意識が強まっていったと感じています。そして自分達の代でも昔と比べて「インカレ最終日」という言葉が多く聞こえます。なかなか現実は厳しく全国で大きな結果を挙げれたということはないですが、確実にここ数年の先輩達の意志は伝染していっていると感じます。それが関大ボート部の文化、歴史になると思います。 僕の好きな漫画である「ジョジョ」いわゆる人生哲学の教科書、にいい言葉があったので載せておきます。 どんなに辛くても目標にむ

インカレまで1ヶ月

  4回の岸上です ついに10月に突入し、インカレも目前に迫ってきましたね 4年間振り返ればボート部での生活は本当に一瞬でした 私のボート部での転機は2回生の9月です。 ようじろうさんに練習メニューの作成を任されました。 半泣きでできませんと言いながらも、 ようじろうさんの 「どうしてそう思うんだい」 「いいんじゃない」 という言葉とともに自分なりに試行錯誤しました。 2000メートルのタイムを競う、シンプルな競技だからこそ、奥深く、きちんと頭を使わないとだめだと言うことが身に染みて感じ、トレーナーとしての責任感が生まれました。 インカレまで1ヶ月!! 週6日、大学生活のほとんどをボート部のメンバーと過ごし、先輩方、同期、後輩に支えてもらったことでトレーナーとして活動し続けられました ありがとうございました😊 来季からはしっかりもののあまねちゃんがさらに手厚くチームをサポートしてくれます 私も負けずパワフルに最後まで頑張ります💪🏽