スキップしてメイン コンテンツに移動

かけがえのない大学生活

 「かけがえのない大学生活」



早いものでもう引退まで残り少なくなりました。

1回生の時初めて試乗会でエイトに乗って、右も左も分からない中、後ろの先輩に横腹えぐられた記憶が今でも鮮明にあります。

あの時は痛みどころではなく、爽快感に感動してしまい、即入部を決めちゃいました。

のちに先輩が「そんな簡単に決めていいの?(笑)」という言葉の意味を知ることになるのですが、、。


最初はどんなメニューも楽しくて次何が来るんだろうと胸を躍らせて艇庫に行ってました。

タバタキャンペーンなんてものを何日も続けていました。

毎日艇庫に行くことがただただ嬉しくて、それはきっとみんなも一緒で、本当に楽しかったです。

そこから大尊敬する先輩方と初めての試合を迎え、数々の怪我をしたり、毎日手がボロボロになって寝れないくらい乗艇したり、初の対抗エイトに選ばれたり、書いたら書ききれないほど色んなことがあって、大学生活の全てがここにあると言っても過言ではないほど充実していました。


その中で特に忘れもしないのは、2回生の同期で4+を組んで出た秋季選手権大会の帰りです。全日新がコロナで中止になり、同期で試合に出ることはないのかなと思っていたところで、先輩方と監督コーチ陣に組んで頂き、臨んだ試合でした。でもその試合は期待に応えることができず、呆気なく1日目で終わってしまいます。あの時の悔しさは今でも覚えています。その後に事件は起こります。淡路駅前で一緒に乗ってた同期と本気の喧嘩をしてしまいました。終電も過ぎて時間も忘れて、お互いの言いたいことを思う存分ぶつけ合いました。あの時、たまたま通りかかった先輩に止められてなかったらきっと朝まで喧嘩していたかもしれません。


なんでこんな話をしたかというとそれだけ情熱を持ってボートという競技に向き合っているんだなって思ったからです。当時は初めてたった1年ちょっとしか経っていないのにも関わらず何時間も話せるほどに。

だから後輩たちにも自分達以上にボートに熱中して本気で引退まで取り組んで欲しいです。


色んなことがあってトレーナーとなった今、自分の言葉に説得力があるかはわかりません。でも、自分の選択が間違っていなかったと思えるように、全員が『熱狂』して目標の『インカレ入賞』を達成できるようサポートする、これが自分に残された使命だと思い、最後まで関大ボート部員として一緒に戦わせてください。

こんなふうに思わせてくれるのも艇庫にいけばみんながいて、眠い目を擦りながら出艇していく姿を見ているからです。

だからもう少しだけおしゃべり君とお付き合いください。頼ってください。


全員でインカレに臨みましょう。


4回生 光村駿哉

コメント

このブログの人気の投稿

ラストブログ

 ラストブログ お疲れ様です! 4回生の池内聡介です!  同期のみんなも4年間を振り返っているので、自分も振り返っていきます。長くなってしまう予感がするので、各学年や時期で印象深いエピソードとか感じたことを抜粋して書いていきます。もう最後なので色々と書きます。あとは、みんなへのメッセージも書きます。 1回生  8月にボート部に入部しました。入部した理由は直感です。なんとなく雰囲気が良かったから、楽しそうだし、そんな感じでした笑 りやさんにボート部の説明を受けたことと、阪急淡路駅から艇庫に向かう途中に川口と出会ったことを覚えてます笑 最初の頃はボートが楽しいというよりは、同期や先輩と遊びに行ったりする方が楽しくて、それ目的でボートをしていました。正直、モチベーションは4年間の中でも低かったと思います。コロナの影響もあったからかなぁ。 2回生  インカレ前の2000ttです。モチベーション低い期でしたが、インカレには出たいという気持ちはありました。しかし、エルゴタイムは7.05  5秒足りませんでした。何回チャレンジしても、この5秒の壁は大きかったです。今までの練習への取り組みの甘さが出ました。  結局エルゴタイム切れずにオックスフォード盾レガッタに出場することになりました。そして、インカレでは同期のゆうき、こーゆー、みゆとかが戸田の大学といいレースしてて、羨ましさ、かっこよさ、自分に対する悔しさ、情けなさとか色んな感情が心の中にありました。オッ盾で勝っても負けても何も感じなかったです。それも悔しかったです。  インカレで活躍する同期を目の当たりにして、自分も来年こそは練習頑張ってインカレに出たいという思いが強くなりました。冬練を頑張ろうと思うきっかけでしたし、挫折でもありました。 3回生  3回生で、印象に残ってるのは初めて対抗に選ばれたことです。冬練で初めて7分カットして、関関戦に出ることになりました。すごく嬉しかったことを覚えています。今までの努力が報われたというか、頑張ってきてよかったと感じました。  今までは、正直、試合に出ても緊張は全くありませんでした。しかし、対抗に乗ってからは違いました。対抗は部の代表であることや勝つことへの責任がありますし、重圧もあります。試合直前のアテンションの時は震えるようになりました。  関関戦、関戦では巧さんが...

「楽しさが最大の思いやり」

こんにちは。2回生漕手の太田心菜です!! 「思いやりって大事やなぁ。」そう感じることができた去年の西日本選手権。 私は同期のちひろと一緒にダブルスカルで出場しました。ちひろとは高校から一緒にボートをしてて、どんな練習も乗り越えてきました。 だからこそ、勝ちたかった。勝ちたい、その一心で、ちひろに強く当たってしまいました。 なんで上手くいかないの、なんで、なんで、空回りして、その時のボートはまったく楽しくありませんでした。 でも私以上に、相方であるちひろはもっとボートが楽しくなかったと思います。(あの時はごめんなさい。)そして、試合では大負けしました。 この経験から何が言いたいかというと、「楽しくボートを漕ぐことが、最大の思いやり」ということです。 もちろん厳しさも必要ですが! 思いやりがないとクルーも速くならないと思います。 最近はフォアに乗らしてもらっていて、色んな発見があります! リガーとグリップをしっかり持って、相手が技術練をしやすくしたり、グリップを下げて、逆サイドの人が艇を旋回しやすいようにしたり… スカルよりも思いやりが必要な気がします…(汗) ボートは人間関係が密接に関わる競技だと私は思います。 なぜなら必ずどちらかが正しい、どちらかが間違っている、というような関係になりがちだから。 どちらかが上手で、どちらかが下手という関係。 下手な方は、私が下手だから上手く漕がなきゃという罪悪感の中で漕ぐつまらなさ、上手な方は、相手の教育のために自己犠牲を強いられていると思うつまらなさ。 そんな関係のクルーが日本一になれるわけがないし、継続的に良い練習ができないと思います。 だから、経験者(上手い人)はそこまで上手くないと自覚すること。 もし初心者がどうしても上手くいかない場面があっても、その分経験者(上手い人)がもっと上手くなればいいという寛大な心持ちでいること。 初心者も、何かしら優れているところはあるからそこに自信を持つこと。 1年後には経験者(上手い人)を抜かせるかもしれないと思うこと。 お互いをリスペクトすることが思いやりに繋がると私は感じます。 そんな風にもっと部内がなればいいなと心から思います。自分自身も、もう二度と人を傷つけないように、勝つための思いやりをしていきたいです。 冬練寒いですが、みんなで頑張っていきましょう!

もう一度

 こんにちは!経済学部新2回生の山本陸人です。 まずは西日本選手権お疲れ様でした!サポートしてくれたマネージャーさんありがとうございました!応援ツアーに参加してくれた新入生もありがとう! 前回のblogではみんなにお前のblogアツかったと言ってもらえて嬉しかったです。今回も自分の思いを素直に書いたので是非。 では本題に入ります。 11月の加古川が終わったタイミングでの5種目測定で全く記録が出ず悔しい思いをしたと同時に、冬練を頑張ろうと誓いました。実際に冬練ではチーム1頑張った自信があったし、エルゴが1番回るわけではないけどチーム1成長できたと思います。 この調子で7分カットして絶対インカレに出る。なんなら対校クルーを狙ってやろうとも思っていました。 でも人生はそう簡単には行かないもので、そこから地獄のような日々が待っていました。冬練が終わり、西日本に向けて取り組む1ヶ月間の僕の姿は、誰がどう見てもネガティブに見えていたと思います。 どんなに練習しても上手くいかず、自分たちより練習していないクルーにボロ負けし、マジで辛かったです。毎日練習早く終わらないかなと願い、練習が終わると誰かに文句を言っていました。 同時並行していた新歓活動を言い訳にエルゴをしなかったり、エルゴをしてもストレスで腰痛になるという負の連鎖で完全に心が折れていました。 文句を言いつつもなにもできない自分にも腹が立ち、精神的に辛かったです。精神的に辛すぎてMr.Childrenの終わりなき旅を聴きまくってなんとか持ちこたえようとしていました。笑 こんな精神状態でもボート部のことが好きなので、新歓活動だけはガチりました。体育会の良さ、そしてボート部の良さを新入生に知ってもらうために必死に頑張りました。そしてなんといっても新歓活動での同期たちの活躍に感動しました。試乗会の乗艇班を2年生で回し、大盛り上がりした時はめちゃくちゃ嬉しかったです。 新歓を通して同期がもっと好きになったし、改めて大切さに気付かされました。 まだまだスランプだけどちょっとずつ前進してインカレに出れるように、戸田遠征のクルーが同じだった立教の子達にインカレという舞台で会えるように。そして、4年間最高だったと言えるように今度は自分だけじゃなく大好きな同期のためにもう一度頑張ります。 104代 山本陸人