スキップしてメイン コンテンツに移動

神崎 friends forever

 「神崎 friends forever 」

すみません、今まで皆んなに嘘ついていたことがあります。

いきなりですが、同期の奴らにも後輩にも誰にも話したことない暴露をしたいと思います。














実は僕、高校時代は帰宅部でした。

いままで黙っててすみません















まあ、正確には高2の春にスキー部を退部しました。



理由は挫折ってやつです。自分は小さい頃からスキーをやっていて、中3の時には検定1級も取り、自信満々、ウキウキで高校入学後アルペンスキー部に入りました。競技スキー自体は初めてでしたが、ある程度技術もあったので、高1の冬には関東大会にも出ることができました。


しかし、結果は惨敗。やはり競技スキー新参者が経験者に勝てるわけもなく圧倒的差を感じてしまいました。なにより、経験者で普段の練習をろくにしないような同期の奴が表彰台に立っていることが悔しくて仕方なかったです。どんなに普段の練習、自主トレを頑張っても、結局クラブチームに入ってて、一年中スキーしてるような技術あるやつらには勝てませんでした。

残りの2年間でこの差は縮めることは無理だと確信してしまい、辞めることを決めました。


だから僕は、皆んなみたいに絵に描いたような青春の時を過ごしていません。みんなの高校時代の部活の話を聞くと正直、羨ましくてしょうがなかったです。あの時退部した自分を何度も悔やんだし、高校時代に何かに打ち込めるものがなかったことは死ぬまで後悔し続けると思います。


それもあってか、大学生になっても何か心残りがあり、せめて最後の学生生活ぐらい何かに熱中したいという思いが強くありました。そこで目に止まったのが、「スタートラインは皆同じ、未経験から日本一へ」このひとことを見てボート部に入ることを決意しました。

長くなりましたがこれが僕の本当の入部理由です。



4年間ボート続けてきて、辞めたいと思ったことは星の数ほどあります。

毎朝4時半に起きて、道端で酔い潰れてる大学生を横目に練習に向かい、他の大学生が寝ている時間に練習し、練習終わったら眠い目擦りながら1限に向かい、授業終わったら午後も練習、夜は艇庫で臭ぇ奴らと密になって寝る。知らない人が聞いたら信じられない生活を毎日毎日送っていますが、これが僕らの日常なんです。上辺ではきつい、しんどい、やめたい、と思いながらも、心の奥底では、「こうでもしなきゃ関東勢には勝てない、絶対インカレ入賞してやる」という強い思いが誰しもにあると思います、、、






ってきれいごとを書こうと思いましたが、正直なところ誰しもがここまでの高いモチベーションを維持できているかと聞かれれば、答えはNOだと思います。少なくとも僕は違いました。

4年間を通して自分の中のモチベーション氷河期はやはり、3回生の頃に経験した西日本、朝レ、全日本です。あれほどボートに向き合い、しんどいメニューをこなし、努力してきたのに結果がまったく着いてこず、誰からも応援されなかったことは人生の中で大きなショックでした。この頃はほんとにボートが嫌で嫌で仕方なかったです。いつも通りレースを惨敗で終え、桟橋に艇をつけると迎えが誰も来ず、裸足で艇を担いで帰ったあの時の虚しさは今でも鮮明に覚えています。



ぼくたち人間である限り気持ちは浮き沈みしますし、さまざまな困難や苦労が立ちはだかり、辞めたい、サボりたい、遊びたい、諦めたくなるときもあります。でもそれでいいんです。大切なのはそこからの気持ちの切り替え方です。



正直こんなこと書くのは水臭いですが、ここまでボートを続けることができたのはみんながいたおかげだと思ってます。

どんなにしんどい練習でも後ろには共に乗り越えてきた仲間がいて、それを支えてくれてたマネージャー、乗艇から上がればみんながいる。それがどんな時でも心の支えになっていました。


4年間を思い返してみれば、入部したての頃は両手を埋め尽くした血マメたち、人生で経験したことないくらいしんどいエルゴ、極寒の30キロ遠漕、今ではありえない夜乗艇、拳に命かけた皿洗いじゃんけん、雨乗艇後のシャワー室でしたミーティング、サンオイル全身塗りたくって日焼けしたあの日、シミで汚れた枕の投げ合いっこ、ミー3で常に鳴り響いていた叫び声、、、

つらくて、くやしくて、しんどい思いもたくさんしたけど、それ以上に濃い仲間たちと濃くて、濃くて、濃すぎる充実しすぎた毎日でした。


この時期になってくると1日1日があっという間に過ぎ去っていきます。引退までの残された時間、瞬間瞬間を全力で取り組み、最高の結果で引退を迎えたいです。

そして、5年後、10年後、じじいになって振り返ってみても、「あの時の俺、全力だったなぁ」と誇れる自分でありたいです。


もう二度と悔いは残さない。



100代  川上 豪士

コメント

このブログの人気の投稿

甘い夢だと、誰かがほざいていたって

こんにちは。 体幹botこと100代目主将の向原巧です。 実は主将になってからブログが回ってきていませんでした。なので前回のブログから1年以上経っており、さらにラストブログということでめっっっっっちゃ長くなります。 今日インカレに向けて無事戸田入りしました。 遠征に行くとマネさんが支えてくれていることをいつも以上に感じます。 みんなテキパキ動いていて、何かしようと動いていて、自分も頑張ろうって思えます。 ありがとう。 さて、画像や動画は思い出たちです。 大好きなみんな。関関戦の円陣。ロースーもらってイキっている100代男子(撮影:長島)。入部当初のひっでぇエルゴ。胃腸炎明けの3000×3。けいすけ君の後ろでひっでぇ漕ぎ。なんか映えてるエイト。惨敗した試合。発狂した試合。主務からのLINE。納城さんとお猿の再会。 濃いボート人生でした。 同期みんながいいラストブログ書いていたので、なんて思われるか少し不安です笑。 まぁ自分にしか書けないこと、伝えられないこと、書き記したので是非。 「君たちは100代目になるんだよ」 この言葉に惹かれ入部したボート部。 時の流れは早く、もう引退の2文字が間近に迫ってきました。 100代はどうでしたか?みんなどう思って過ごしてきたかな。 自分は主将としてこの1年間「全員で」ということを大切にしてきました。 なぜなら去年の経験があったからです。 去年の全日本フォア。結果は惨敗。どの大会も最終レースは必ず最下位。全く応援されず、自分たちが批判されていることも感じていた。 そしてインカレも惨敗。最後まで結果を残すことはできなかった。 どのクルーの時も1番練習した自信があったのに。 去年まではずっと自分(自分のクルー)が頑張れば試合に勝てると思っていた。 でも全く歯が立たなかった。 去年ずっと負け続け、やはり部員全員が一つになって頑張らないと勝てないことがわかった。 いや、今までもそれをわかっていたけど、それはわかっていた”つもり”だったのかも。 だから今年は「全員で」ということを大切にした。 漕手だけじゃなくて、マネさん、トレーナー、監督コーチ、OBOG、全員が応援し合うチームを目指した。 男子漕手で言えば、よくわからない理由で練習に来ない奴や、エルゴを平気でサボる奴もいた。 おそらく今までだったらそんな奴ら見捨てて、自分だけ頑張ってた。 でも

泥に咲く花

  「泥に咲く花」 どうも、直井です。 お気に入りの写真がどんどん使われ、集合写真もなくなりました。 1.2 回の頃の遊びまくってた時の写真をあげます。動画はチャリに乗ってコールしながら関大まで帰った日です。 関大ボート部の一員となって、 1097 日目。今日まで、来る日も来る日も艇に乗り込み、オールを握り、漕ぎ続けてきました。 そんな私もあと 12 日経ってしまえば、艇を降り、オールを置く。 もう 2 度と、膝がガクガクになることも、手に無数の豆ができることはないはずです。 オールの変わりに煙草と酒を両手に握り、夜な夜な高校時代の友達や、同期と遊び歩いているかもしれない。あるはずがないけど彼女ができてたりするかもしれない。ありえない。とにかく chill time が待っている。 そんな chill time の始まりは、朝 5:00 から、体幹 bot の「体感するよー」という一言から始まり、 up 中の「今日あれっすよ。 GOGO 電鉄感謝祭っす。」という誰かさんの一言。乗艇中、牛なんだか、豚なんだかわからない鳴き声を発する顔デッケェ奴をグーパンし、ミー 3 で消毒戦争して、皆んなでお昼寝。起きて、毎日同じ会話をして、家に帰る、という私の日常を奪っていく。 そんな今後の生活が楽しみだなと思う反面、これまでの日常、当然のように私の前に立ち尽くす目標など大切なモノが奪われるのは悲しいし、寂しい。何より目標がなくなってしまうのが何より怖い。 同時に、現状を失うのが怖くなれるくらい熱中しているんだと思うと嬉しくもなる。 今、こう思うのは冗談抜きで周りで一緒に頑張ってくれた、マネさん、女子ロー、そして男子皆んなのおかげだと本気で思っています。ありがとう。そんな感謝の気持ちも込めて、今日は素直な想いを書かせて頂きます。 すでに長くなってしまったけど行ってみよう。今日は長いよ。 2 度とないので、一生懸命書きました。読んで欲しいです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 少し自分の話をさせて欲しい。 周りがどう自分のことを見てるのか知らないが、私は自分に自信がなく、劣等感を抱えながら今日まで過ごしてきた。 きっかけは中学の時くらいに家族の凄さを知ったことだった。 生々しいが、父親は超一流国立大学を卒業後、 5 大総合商社の一つで働いている。母親は元外資系航空会社の客室

ハゲタコボート人生

100代副将の城野です。 ラストブログも残すところぼくと巧だけになりました。 今までみんなに暴露してなかったこと、インカレに向けての気持ち、本性を表したように最後ポエマーになったやつなど同期の関西大学ボート部に対する想いが伝わってきていつも楽しみにしていました。 ゆうすけのブログは熱かった。ハードル上がりまくるけど気負わず書こうと思います。 このブログを書いてる今日は大会前の最後のチートデイで朝から胃袋ギッチギチになるまで好きなものをかち込んでました。今日死んでも良いくらい幸せです(^^) 皆さんは死んでも良いとか思うことありますか? もしくは死んだ方がええなぁとか ぼくはこの大学生活多々この感情を抱いてきました。まぁほんまに死にたいとかおもてるわけじゃないです。関西人が良くいうあれの感じです。 そこでラストブログは明るく今までの大学生活で死んだええと思った瞬間ベスト4をランキング形式で発表したいと思います!(^^) それでは4位から発表します。 4位は去年の朝日レガッタで唯一敗コロしてのきさんに京府医艇庫で投げられたときです。これありましたねーこれはどっちかというと死んだほうがええの部類ですね。この時はのきさんに言われたことが違うみたいに思ったり、レース前に1000m×3やって試合で4本目みたいな今考えたら信じられへんくらい舐めプかましてボロ負けしたアホみたいにダサい話です。思い出しただけで笑けてきます。のきさんに夜な夜な呼び出されて大通りと思えへんくらい暗い瀬田の側道を歩いてる時反対側に薫ニキが明日試合あるのに彼女と電話してたのが修羅場すぎて腹ちぎれるか思いました。のきさん絶対振り向かんといてってあれほど願った時はないです。その後試合の無い我々猿はマネージャーとしてエッセン作るのですが、そこにある調味料ほとんど使って味付けしてました。丸亀製麺味のおにぎりができた時は天才かと思いました。 そして3位は初めて対校として出場したインカレでタイムトライアルで負けた時です。これも死んだほうがええですね。あの時はぼく以外4回とMJで自分が足しか引っ張ってなくてとにかくしんどかった。みんな優しすぎておれのこと責めへんしそれが返ってキツかったり。おれは子供すぎて拗ねてるみたいな期間もあった。爆笑 そして追い込みの週が終わっていよいよって時に1ヶ月延期になって全員ポジティブに捉え