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可能性を信じる

お疲れ様です。 103代、副将の太田心菜です。 

 私の一日は、朝5:30からのメトロノーム74bpmで始まります。 
 リズム音痴の私が、バーピーテンポを外し変なリズムで数え出し、
 70の次を60と数える愛ちゃんを、全員で軽く睨みながら訂正すると言う可哀想な現象が起き、 
ストレッチ中、ヨガマットをベット化している智砂ちゃんや茉友加が隣にいて、 
 ルーティンの鬼と化した菜月が、半年間同じ曲を流し続け、自然と韓国語の歌を覚えてしまい、 
乗艇が終わると、艇庫爆睡仲間のつっきーと実紅ちゃんがいて、 
 目を擦りながら気合いで起きて、ボートを漕ぎ、帰って、家事をして、寝るというそんな日常でした。 

正直そんな日常がなくなると、刺激もないし、何をしたらいいかわからないし、想像もできなくて怖いです。 
でも、こんな同じ日々を続けられるぐらいボートは魅力的で、大好きなんだなと心から気づかせてくれます。 
そして、神崎にいるみんながその日常に彩りや刺激やらを付け足してくれてるんだなと思っています。
ありがとう。 
 今日は、そんなみんなへの感謝を込めて正直な想いを書きます。 
長いけど時間のある人は見てくれたら嬉しいです。

 _____________________ 


 私自身、あと数日で7年間のボート人生に一度終止符を打つことになります。 
4年間を振り返ると、想像していた大学生活とは異なり、選択と失敗の連続だったと感じています。
 高校時代は、先生方と仲間達に恵まれ、国体・インターハイ共に入賞し、大学ではそれ以上の成績を残したいと思い、競技を続けることを決めました。 
大学選びは迷いましたが、2個上の直属の先輩である花歩さんに憧れて、関大に決めました。 

 マイナスな感情を抱くことも多くありましたが、それでもボート自体は大好きで、「速くなりたい」という気持ちだけは常に持とうとしていたと思います。

 時期は覚えてないけれど、SF生がどんどん辞めていって、私も違う場所でしたいなと本気で考えるようになりました。 
当たり前のことが当たり前じゃない現実。 
例えば、リギングをせずにハチャメチャリギングで出艇していったり、ナット締めずにゆっるゆっるのまま漕いでいたり、ウマが開いてなかったり、、、、 
自分のこだわりを享受されない現実でもあります。
 それだけじゃないけど、辞めたり・暴れる理由に共感する部分が正直あったので、とっても難しかったです。 
そんな時支えてくれたのが同期のみんなでした。 


 ◯3年生の夏 
特に印象に残っているのは、初めてのスイープを、 わずか2か月でインカレに出場できるレベルまで仕上げなければならなくなった時です。 
夢月と柚と近くの吉鳥で、 
「もっと速くなりたい、
 スイープをもっと教えてもらいたい、
 教えてくれる人がいるけど、自分だけでは
 できないから諦めている」
 と伝えると、

 マネージャーの2人が、
 「速くなるチャンス諦めたらだめだよ。
  私達にできる事、全力で協力するから 
 その練習会成功させよ!!」
 と言ってくれました。 

私は1.2年生の頃、根っからの先輩大好きマンだったので、その時、驚きと同時にこんなにも熱いマネージャーが同期で支えてくれてるんだと心から気づかされました。(ごめんね笑) その場で、碧莉、花音、夏子に連絡したら、即OKで協力してくれて。 部のみんなは気づいてないかもやけど、そんな熱い人達で頼りになる人達なんです。

 それで、同期マネの協力の元、急遽要項を半日で仕上げ、監督・コーチに無理やり見せて、高校の顧問と宮津の子を神崎に呼びました。 
私のために長時間かけて、わざわざバスで来てくれた顧問には感謝してます。
そして、私の沢山のわがままを許していただいた監督・コーチの皆さんにも感謝しています。

 他にも、DENSOの偉大な先輩に来てもらったり昻祐くん、花歩さん、彩夏さん、菜々花さんにアドバイスもらったり、あの時は多くの人に支えてもらいました。
この場を借りて感謝致します。 
ありがとうございました。 
こんなにも支えていただいたのに、去年の夏何も成し遂げられなくて申し訳なく思ってます。 
でも、あの時の経験があったからこそ、今のエイトに繋がっていると信じています。 

 ◯新歓 
 新歓も大変だったけど楽しかった。 
PowerPointの回しもんぐらい、資料作成しました。
 夏子と夜中まで作業して、2人とも寝不足で部活に行って。 
夏子には沢山助けられました。
 着いてきてくれたメンバーもありがとう。
 あの日々も、まぁまぁ無茶苦茶だったなぁと笑、思い出です。

 ◯エルゴとの苦悩の日々 
そしてボートといえば、智砂ちゃんも言っていたけれど、やっぱりエルゴからは切り離せません。 
私も、何回エルゴの前で泣いたか数えきれません。
 1時間UTで1時間泣いていたときが懐かしいです。 今は、自主練botですが、2年生の頃は毎日泣きながらエルゴしていて、みゆさんかほさんコンビにいつも慰めてもらってました。(だーいすき♡) 

 しかし、エルゴは正直です。 3年間ベストが出ず、数値として私に現実を見せてきました。
 何かがおかしいと思い、様々な病院で検査を受け 、最終的についた診断としては、『運動誘発喘息』という症状でした。 
まぁ簡単に言うと、少し息の上がる運動をすると気管が細くなり息が上手に吸えなくて、喘息になるっていうやつです。 

 毎日薬の吸引が必要なので、莫大なお金をかけさせてもらって、ここまで競技を続けてきました。 
何不自由なく競技に専念させてくれ、どんな結果でも1番の味方でサポートしてくれた親には本当に感謝しています。本当にありがとう。
最後は、2000tt7分48秒でエルゴ生活を終えました。

 ◯行き着いた乗艇の理想 
乗艇でも、クルーのみんなに厳しかったと思います。 ごめんなさい。
 本気になればなるほど、本当は周囲に対して寛容でなければならなかったはずです。 
それでも、「もっと集中していれば、ここはできるやろ」と考え、自分の物差しで測り、決めつけてしまいました。
 楽しく笑いが絶えないクルーが速いのか、 厳しく黙々と考え、集中し続けるクルーが速いのか、私には最後まで分かりませんでした。 
ただ、1つだけ。 

誰かと一緒に乗れば、誰かが上手、誰かが下手という構図になります。
そもそもクルーボートは、互いの存在がいないと成立し得ない競技なので、どんな人でも相手がいなければレースにすら出場できなくなります。

 だからこそ、 「相手を尊重する」と、「相手を甘やかす」とは違うと思うし、「相手を否定する」と「相手を厳しくする」とも違うと思う。 

甘やかさず尊重し、否定せず厳しくする。 

そういう事が大事なんだろうなと私は思います。 

 ◯副将 
1年間副将を務めさせていただきました。 
副将は、いくらでも手を抜ける一方で、自分次第で何でもできる役職だったと思います。 

誰かに怒って、怒った事に後悔して、でも怒らないといけなくて、ただ怒るだけでは伝わらないと知って。 沢山みんなには迷惑をかけました。 

みんなからしたら、怖い先輩ですぐ怒ってくる嫌な先輩だったかなと思います。 
ただ、嫌味が全てではなく、みんなを思って言ってたこともあるので、少ーしだけ分かってくれたら私は報われます。 
周りの人のために、自分のために、沢山漕いで、色んな人を沢山幸せにしてあげてください。 
そんなみんなはかっこいいです。 

 ◯終わりに、、、 
とはいっても、正直高校まで順風満帆で悩んだ事  はほとんどなかったので、大学では色んな事に悩んだ気がします。 

 そんな悩んだ日々を知れたことが、私が関大に来た意味であり、理由だと思います。 人生の糧です。

 沢山の悩んだのに、なぜ、折れなかったか。 

私には明確な理由が1つあります。 
 それは、
「自分自身の可能性を諦めきれなかったから。」

 とんでもなく、自己肯定感が高いですね笑 
「もっとできる!」「なんでできないんだ、、」を繰り返して、一つずつ登ってきたと思います。 

 これはある人の名言の横流しですが、、、 
練習は下りのエスカレーターで、すぐに上がり切れるわけではない(実力がつくわけではない)
 たけど着実に少しずつ少しずつ、上がっている。 でも、練習を一度でも辞め、止まってしまうと急激に落ちていく。 

そんな感じで少しずつ少しずつ、、、 

 とりあえず、大学では試合で落ち込んだり、泣いた記憶しかないです。 
桟橋で何度も慰めてもらった事しかない気がします。 
笑顔で励ましてくれる優しさの裏で、本当は一緒に悔しがって、悲しんでくれていることが伝わってきて、毎試合とても胸にくるものがあった。 
だからこそ、この人たちのために頑張りたい。
 最後はみんなを笑顔にしたい。
 自分の可能性、関大漕艇部の可能性を信じて、
 最後まで挑戦し、やり抜こう。


 _____________________ 


 最後に、これまでご指導いただいた監督・コーチをはじめ、支えてくださった全ての方々に心より感謝申し上げます。 
多くの方に支えていただきながら、ボートを漕げる環境に恵まれ、ボートという競技に出会えたことを幸せに思います。 

本当にありがとうございました。  


 103代副将 太田心菜

コメント

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