103代主将の宮前千洋です。
まず初めに、いつも関西大学漕艇部を応援してくださっている皆様に心より感謝申し上げます。
とうとう、ラストブログを書く学年になりました。3年前の夏100代の先輩方が戸田から更新するブログを一人で家で読んでいたのが懐かしいです(笑)
きっと長いです。書ききれな程いろんなことがあって、思い出しきれないほどたくさんの思い出が詰まった4年間です。
最後に私が主将として、できることは私が感じてきたことを残すこと。
長いかもしれないけど、一言でも一文でもが大切な部員へ、これまで支えてくださった方へ届いたらいいなと思って書きます。
ボートとの出会いは小学生?でした。
小学校の前にある川でいつも高校生が練習をしていて「おーーーい!」と橋の上から声を友達とかけていたのが最初の出会い。まさか数年後に水上で手を振る側になるとは1ミリも想像していませんでした。
そこから地元の高校に入学。当時はコロナ禍真っただ中だったのですべての部活動紹介が映像で、直接先輩方の姿を目にすることはできませんでした。
ただ、そこで一糸乱れぬボート部の映像が私の目には驚くほど輝いて映って、周りは「ボートはかっこよかったけど、入るのは・・・」という雰囲気の中体験入部に行くことを決意します。
ボートという未知のスポーツに飛び込むこと、それが安定志向の私にはとてもハードルが高かった。でも初めてボートの映像を見たときの感動や体験入部で感じた部内の誰もが夢中になって何かを追っているそんな姿が忘れられなくて、ここなら大丈夫かもしれない。この仲間たちなら一緒に頑張れるかもしれない。そんな直観を信じてみたくて入部を決意します。この選択が私の初めての直感で決意した瞬間でした(笑)
(そしてここで3年間同じクラスであり7年間のボート人生を共にする心菜と出会います笑)
高校時代のことを書くと長くなりすぎるので割愛しますが、本当に毎日に夢中。「一生懸命」以外の言葉は知らないのか?って思うほどの偉大過ぎる仲間に出会えて、そんなみんなと頑張れるあの時間が大好きでした。インターハイでも賞状をもらったり、近畿ではほぼ負けなしだったあの環境はきつかったけど楽しかった(笑)
性にあったコックスを入部から引退までやり遂げて多くの人と出会えて本当に私という人間を形成してくれた3年間。引退レースでもうやり切った!ボート人生終了!と雲一つない青空を見上げ引退。あのときの私はその数か月後に神崎川に足を運び、あと4年のボート生活が待っていることは全く想像していませんでした。
「振り返り」
今でも忘れません、高校卒業後まだ実家にいたころに高校の2つ上の先輩である101代のかほさんからの1件LINE
「朝日レガッタのコックスが怪我して足りてなくて、助っ人で出てくれない?もしちーちゃんが出てくれるなら付きクォ出そうと思ってて!その大会だけで良いし、無理な勧誘は一切しない!」こんな内容でした。
おいおい、これ承諾したら絶対に部活生活が大学でも始まってしまう。思い描いていたキャンパスライフじゃなくなる。母親にも言われましたし自分でも性格上そうなることはわかっていました。分かっていたのに、なんだかんだ承諾。まだ入部もせずに対抗のクルーに乗るという訳の分からなすぎる私を仲間として受け入れてくれた関大ボート部のぬくもりに惹かれてらみどりさんや詩織さんと語ったあの時間が好きすぎて、でもボートの大変さも大学で体育会に所属することの覚悟の大きさもわかっていたからこそ悩んで悩んで悩んで。それでも「何かを頑張る生活」その魅力は私にとって大きくて、入部を決めます。(れいさんからのLINEも入部の大きなきっかけでした笑)
入部をしてからの毎日は高校とは違った環境で、戸惑いもありました。
早すぎる朝、長すぎる日曜日、ボートへの向き合い方も一人一人違う中での雰囲気。
始めはそれに慣れるのに時間がかかりました。
もう一つ、大きな変化として「コックスから漕手への転向」。こんなことしている人聞いたことないですね笑
高校3年間コックスとしてボートと向き合っていた私は心のどこかで「仲間に恵まれたからいい成績が残せている。自分の力ではなくみんなに乗せてもらっている」という思いがありました。(今ならわかります!そんなことないです。コックスは漕ぐことはできないけど本当に大事なポジションなのでコックスのみんなは今の自分のしていることに自信をもって胸を張ってください!)
「自分の力で全国の舞台に立ちたい」という、漕手としての全国大会へのあこがれがあった私は漕手になることを決めます。低身長、コックスの方が圧倒的に性格的にあっているのに。
それでも「インカレに漕手として出場する」これが私の目標でした。
1回生
漕手としては初心者なので新人指導で漕手として少しでも早くうまくなりたい。その一心でした。そして早く8分を切りたい。早く先輩と一緒に乗りたい。それしかありませんでした。
初めての2000mTTは8分38秒。8分カットが夢のまた夢。そんなところからのスタートでした。周りはどうあれ私の目標は来年インカレに行くこと。先輩たちと一緒に乗ること。対抗に乗ること。それをどうしてもどうしても叶えたくて、来年こそは一緒に戸田に連れて行ってほしい。それなら練習しないと。周りはどうあれ、ぶれることのないその目標があったからこそ練習に打ち込む日々でした。
2回生
関大だけではなくて関学をはじめとした他の大学の人とも仲良くなってすごく楽しかったです。初めての新歓。そこでかわいい後輩たちが入ってきてくれて本当にうれしかったです。2回生の初めのレースは心菜とのダブル。いつか叶えばいいなって思ってたけどそれがこんなにも早く実現するとは笑
私は対抗に乗ることが目標でどんな練習にもそれが今の自分には必要だと思っていたから100%でやってきた自信がありました。でも、関選の時に自分のほうがエルゴが回るのに違うメンバーが念願の先輩との対抗に乗って。そのクルーは準優勝をして。自分はそれを陸から見ていただけ。それがとても悔しかった。普段泣く事がない私ですが、クルー発表のとき初めて艇庫で泣きました。先輩の前でボロボロと(笑)その後トイレに駆け込んで声を殺して泣いたのが懐かしいです。そのくらい悔しくて、エルゴ数値だけではダメなんだ。もっと頭を使って、水上でも頑張らないと。そう思わせてくれたきっかけです。
先輩と乗れる、対抗に乗れるチャンスは残りインカレだけ。絶対につかんでやる。そう決意しました。
絶対に8分カットをしたくて臨んだ関選後のTT。結果は8分0秒1。0.1秒足りない。
8分の壁の高さを痛感しました。8分5秒カットでインカレには出場できるのでメンバーにも入ったし、念願の先輩との対抗なしクォにも乗れた!だけど7分代で戸田に向かいたくて何度も引き直しをしても1秒足りない、2秒足りないタイムしか出せず。悔しい思いを持ったインカレでした。
ですが、このインカレで引退する海弥さん花歩さんは私をクルーに入れるという選択をしてくれたことに感謝しかありません。自分の引退が懸かっているというのに2回生の私を乗せるという選択は正直悩んだと思います。戦力になるかもわからない当時の私を乗せるという決断のむずかしさを4年生の今になって感じます。そんな中でも選んでくれたこと。本当にありがとうございました。私にとって2年生の夏は成長できた時間でした。
全日新はちさちゃんとのダブル。同期5人での遠征。ほんとに楽しかったね(笑)
夏子に「今日の朝ごはんはトマトリゾット作ったの」と朝練終わりの帰艇で言われたのは忘れません(笑)
加古川での異例のエルゴレースもシングルエントリーだったので自分の力で3位に入って。一人でつかんだ銅メダルはエルゴレースだったとはいえ、本当にうれしかったし少し自信にもつながりました。
3回生
多くの1年生が入ってくれて新人指導を担当して。かわいい後輩がまた増えたことが嬉しかった。
関選でつきちゃんとのダブルもめちゃくちゃ楽しかったな。音聞き間違えて1900くらいで漕ぐのをやめた勘違いしたゴール事件もあったけど、何とか準決勝に残ったという放送を聞いて急いでつきちゃんのところに向かって抱き合ったときは泣きそうでした。腰の影響でサポートだった菜月も自分事のように一緒に喜んでくれてほんとにうれしかったな。
ほんとに楽しいダブルでした。
そして、1年ぶりの関選TT。今年こそは。まだ達成できていない8分カット。
積み込み後に全員の誘いを断って家に帰りすぐに寝てTTに向けて最高の準備をして挑みました。7分58秒。3回生の夏にようやく8分カットにたどり着けました。後ろにいた圭人や陸人の声は今でも覚えてます笑二人は覚えてないかもしれないけど(笑)
他にもいろんな人が応援してくれていました。嬉しすぎてお世話になった先輩にライン漕ぎ終わったあしまくったことも覚えています(笑)
本当に今までの苦しさが報われた気がして。やっとスタートラインに立てた気がして。みんなの声に支えられたTTでした。
3回生の1番の思い出は、心菜とのペアでインカレに出場したこと。たくさん考えて悩んでたくさんぶつかって。でもたくさん成長できた期間だったよね。どれだけ意見の食い違いがあっても2人で勝ちたいという思いだけは共通してあったから、この人を信頼できる。と思って最後まで頑張れたんだと思う。
そしてこのインカレで私に一つ変化がありました。それは「誰かのために勝ちたい」と思うようになったこと。これまでは、「自分が対抗に乗るため」「自分が8分カットをするため」正直自分中心の考えでボートに乗っていました。でも、私たちペア2人のわがままにも本気で付き合ってくれた専属の夢月・あおり・千咲ちゃんが戸田で私たちが負けた後に悲しそうに、なんて声を掛けたらいいのかわからなそうに、気を使っているように駆け寄ってきてくれたときに、「こんなにも私たちのために全力でやってきてくれた人たちを笑顔にすることができなかった。」そう強く感じました。絶対に来年は全員に笑顔で船台にきてもらう。みんなの笑顔のために闘うんだ。そう決めました。あの時の経験がこの1年の私を支えてくれていたといっても過言ではありません。今年はいっしょに嬉し涙を流したいです。
男子クォドが敗復で勝ち切って最終日進出を決めたときは正直心から喜べませんでした。
彼らの勝利が全員に希望を与えて、全員を笑顔にしていて。そんな姿がうらやましくてかっこよくて。それ以上に悔しかった。自分はここで何してるんだろう。悔しくて悔しくて。この悔しさがいつも言動力になっていたことも間違いないです。
加古川のまゆかとのダブル。決勝のレースは過去一きつかったです。でも過去一嬉しかった。
1000メートルでは3位と6秒差。それでも足蹴り連発で耐えて耐えて耐えて。いけるいけるって声かけあって何とかつかんだ銅メダル。心の底から嬉しかったです。
もう無理って思ったときにゆずと夢月が書いてくれた養生のメッセージ見たらみんなを笑顔にすると誓ったインカレのことを思い出して力が湧いてきました。ありがとう。かんかんのコックスもかっこよかったなぁ。
また、この夏で幹部が交代してとうとう自分たちの代に。大好きだった先輩たちも引退して不安しかなかった。ましてや自分が創部初の女子主将。1年後に引退が来るとはわかっていても先が見えなくて、今に必死。そんな中での初めての遠征である加古川は同期の心強さを再認識できた期間でした。主将として挑む初めての大会だったのに移動日3日前に体調がどう考えてもおかしくて。半泣きで病院に行きました。いや、ほぼ泣いてました(笑)
結局移動日を自分だけ一に遅らせてもらって主将として情けない・・・そんな思いで迎えた大会でした。
主将になってから現在
毎週木曜日の19時30分から始まる同期ミーティング。暗くなるまで艇庫に残る日々。束の間の時間を見つけて詰め込まれた就活。やっと来た月曜日は日帰りで東京まで何度も面接に行ったりもした。そして訪れる火曜日の朝。
目の前に必死で、でも先を見据えて物事を考えて進めないといけない。そんな毎日。主将になって初めての仕事はインカレ積み下ろし後のオッ盾フィン曲がり事件の謝罪メールでした。
そこから1年間。昼夜問わず監督コーチからのメールが届いて、幹部ラインが動いて、ジャパンに共有して。そんな毎日でした。そんな日常も残り5日。
この1年本当に同期がシゴデキすぎで、頼もしすぎて頭が上がらないことばかりでした。
みんなほんとにどこでも生きていけるやん。すごすぎる。そう思ってました。
女子しかいない異例の学年。同期8人なのに後輩の人数が多すぎる。正直難しかったです。
でも、私にとって後輩はとても大切な存在で、かわいくて仕方がなくて(笑)
みんなのためになら頑張るか。と思わされてました。
何万回同じことを言えばいいんだと思ったごみ捨ても、エッセンのお皿も。何時間も幹部で考えてこれがベストだ!と思って提案したことにも出てくる部内からの反対意見も、少しできてないことがあれば後ろ指さされる悔しさも。
何回も「別にいいか」と投げ出しそうになりました。実家に帰ってもオフでも鳴りやまないスマホを地元の海に投げ捨ててすべてから逃げようとしたこともありました(笑)
でも、私がここで投げ出したら、向き合うことをやめたら残りの部員はどうなる?幹部のみんなの思いはどうなる?そう思って絶対に投げ出すことだけ絶対にせずに向き合ってきたつもりです。
私が残せたものは何かわからないし、何か残せたものがあるのかもわからない。でも、一瞬でもこのチームでよかったと思えた瞬間がみんなの中にあったのなら、私はそれだけで主将を頑張ってよかったと思えます。
主将になってからの一番の思い出は関関戦。本当にうれしかった。3年ぶりの総合優勝。男子も女子も当日までどうなるか分からなかった中で勝ち切れたのは本当に本当にうれしかったし、みんなのことが誇らしかったです。出場したメンバーだけではないです。みんながいたから勝てた試合。お互いに支え合ったがんばってきたから、これまでの先輩が築いていただいたものがあったから勝てたと思っています。
自分たちが勝ち切ったときは心の底からのガッツポーズが出ました。パフォーマンスでもなく心からのガッツポーズは初めてでした。男子がゴールして総合優勝したときは思わず涙がこぼれました。4回生がいないという中でも男子が闘い切ってくれて勝ち切ってくれてなんて心強くて頼もしい後輩なんだろう。そう感じました。本当にありがとう。
去年のインカレで人の勝利を心から喜べなかった私も今年は人の勝利を見て嬉し涙がでてきました。
主将としてこのチームが改めて好きになった瞬間でした。
「苦悩」
ここから、私の4年間で一番苦しかった時期のことを書きます。
2年生の1月。
私は初めて部活を辞めたいと思うようになりました。
1つ上の先輩が女子で1人だったことで私は2年生の頃から女子の副リーダーを務めるようになりました。
それまで自分のために部活をしていたし、周りがどうあれ自分のやることは1つだと思っていた中で、幹部の会議に入るようになってチームの現実と向き合うようになりました。
そこでチームの現実を目の当たりにしました。遅刻や欠席の多さ、エルゴの実施率の低さ。環境整備ので来てなさ。今考えたら少し生意気な考え方かもしれないけど、これまでの私にとって当たり前のことが当たり前にできていない組織と向き合うにつれて、「私はここで残り2年間を過ごすの…」そう思うようになりました。「今からでもキラキラしたキャンパスライフを過ごすのに遅くないよね」「ここまで頑張ったんだしもう良くない?」「インカレも1回出たし。国体も行ったし。」「もう頑張らなくても良いよ」色んな声が自分の中に浮かんで来ました。
でも、「継続力」それが自分の取り柄だと思っていた私にとって何かを途中で辞めることは「逃げ」だと思っていたし、辞める勇気も無く、なんだかんだ部活には行っていました。
頑張りたいのに頑張れない。それが本当にキツかった。基本的にスーパーポジティブで練習も常に100パーセントを出し切る!それが私の強みだったのに。
なんで頑張れないの?なんでこんなに無理やり自分の体にムチを打って部活に行っているの?苦しかった。
でもある日。その頑張ろうとしていた紐がプツン。切れてしまいました。
その日は今でも覚えています。
ここなとちさちゃんのふたりでエルゴをしようとしていた日。辞めたいと思うようになってからも同期と話す時間が楽しくて何とか部活にも行けていたのに。その2人との練習の日の朝。ベットの上で「あ、体が動かない。起きれない。」初めての感覚でした。無気力。まさにその字の通り。まずい。これはまずい。
起きて。自転車に乗れば体動くじゃん。やる気も出てくるよ!起きて!!
でもダメでした。その日は一日中ベットから出られませんでした。
私はその日に「もう続けられない。辞めよ。」そう思いました。
そこから同期の2人に初めて気持ちを打ち明けて、れいさんや当時の主将であるそういちろうさんとも面談をして「もう辞めたいです」そう伝えました。高宮さんにも言いました。「もう頑張れないです」と。
いろんな人に迷惑をかけて、予兆もなく辞めたいと言い出した自分。
それでも、向き合ってくれて、話を聞いてくれて。
本当に私は人に恵まれていたと思います。本当にありがとうございました。
たまたまこの時期に私は春休みにオーストラリアへの短期留学もあって一度部を離れて冷静に色んな人と話をするタイミングが出来ました。
悩みました。考える場所や時間によっても自分の思いは変わるし、やっぱり自分から今の環境を投げ出す勇気もないし。
何よりこれまで部活を全力でやってきた自分から「辞めたい」と言う考えが出てきたことがショックでした。
でも、辞めよう。そう決めていました。家族にも友達にも話していましたし、今でも「あのときは正直やめると思ったよ。」全員に言われます。
だんだん何に悩んでるか分からなくなるし悩んでることに悩んでくるし。負のループ。
そんな中私の中にある言葉がずっと残っていました。
「辞めるという選択肢は1番最後にしてください。」
この言葉はある先輩の言葉です。
でも4年間を乗り越えた先輩の言葉には妙に重みがあって私の頭から離れていなかった。
その言葉がずっと引っかかっていて、4年間続けた先にしか見えない景色があるのかな。そう思わせてくれていた。
だからこそ、私は辞めることを決めきれず悩み続けていた。
いろんな人と話して色んな意見をもらって。そのうえで最後に決めるのは自分自身。
私がたどり着いた答えは「選んだ道を正解にする」
こんなに悩んで迷ったならどちらを選んでもきっとタラレバは出てくる。
辞めてしまったら、きっと同期が引退する頃に「今頃続けていたら私もみえた景色があったのかな」とか「辞めてしまった自分」と向き合うことになるだろうし。
辞めなかったら「今頃友達と旅行に行ったり遊べるのに」「就活に集中できるのに」とか。
きっとどちらにせよタラレバは出てくる。じゃあ、選んだ道が「これでよかった!」そう言えるように自分が行動していくしかない。「この道を選んでありがとう」と未来の自分が言えるように過ごすしかない。そう腹を括りました。
結局私が続けた理由としては、後悔が少なそうだったから。自分を否定したくなかったから。
自分の性格上、やめてしまったり途中で何かから離れるのは、「新しいことができる」と捉えるよりも「逃げた自分」と今後の人生で自分を責めるような気がしたから。
でも、辞めることが悪だとは思っていません。ただ、悩んで勇気を出してその道を選んだ自分を自分が否定するのは違うと思うから。みんなにはそれだけ覚えていて欲しいです。
みんなの人生だしみんなの学生生活だから自分が納得する道を選べばいい。
でも、その道を選んだ自分を否定することだけはしないで欲しい。
この経験は本当に苦い思い出だし、大袈裟ではなく私の人生の中で1番苦しかった時期。
だけどこの経験があったから今の私がいます。
苦しんで悩んで自分を否定したりもして。でもそういう思いを知ったからこそ自分が「これだ」と思えるものに出会えるのかな。
4やめたいとか逃げたいとか。そういう思いはは間違いじゃないしおかしいことじゃない。別にやめてもここまでやってきたことが無かったことになる訳じゃないし。
私の場合は色々悩んで4年間続けるって道を選択して、それを正解にしようと過ごしてきたけど、人それぞれの正解があるしそれを決めるのは自分しかいないと思います。
だから、自分がこれが正しい。この自分が好きだって思えるような時間を過ごして欲しいです。どうせ同じ時間を過ごすなら楽しまないとね。
きついなって思った時
初めてサングラスをかけたあの日を、ロースーを履いて鏡の前に立ったあの日を、カイザーズマークを見て笑みがこぼれたあの日を思い出して欲しい。
あの時の胸のときめきを思い出したらほんの少し頑張れる気がするので。
「みんなへ」
ここまで長々といろんなことを書いてきましたが、どうしてもみんなへのメッセージが書きたかったので書かせてください。
106代へ
まさか、こんなに沢山の106代が入ってきてくれると思ってませんでした笑
本当は、もっとみんなと色んな話をしたかったし、これからの成長を見届けたかったです。
数人としか面談できてないけど、みんなが「部活が楽しいです」って言ってくれたことがお世辞でも嬉しかった!
きっとこれから色んなことがあると思うけど、きっと大丈夫。周りには沢山の頼れる仲間がいるので困った時は助けを求めてください。きっと手を差し伸べてくれるので。
105代へ
みんなは新人指導の担当だったので正直思い入れが強いです笑
マネ・漕手関係なく、みんなほんとに可愛くて可愛くて仕方なかったです(*^^*)
数名、私のことを財布だと思ってる人も居そうだけど自動販売機の前できゅるきゅるおめめでアピールしてくるところもなんだかんだ可愛かったので許します笑
あと、みんなの仲の良さはほんとに強みだと思います。
その強みを存分に発揮してみんなの代を築いていって欲しい。きっと最高のチームになると思います。
104代へ
みんなは1番一緒に部活を過ごした後輩です。
私たちの代が少なかったからきっとまだ後輩をしてたら良い時期にも色んな責任を負ってくれたと思うし、感じさせてたと思う。
みんなが頼りになりすぎて私はほんとに頼らせて貰ってました。
本当にありがとう。
みんなと何気ない話をする時間が大好きでした。私の宝物です。
疲れたなって思ってもみんなの頑張る姿や笑い声から元気を勝手にもらってました。
これから幹部として色んなことがあると思うけど、何とかなります。
絶対に終わりは来ます!そう信じてみんなで協力して頑張ってね!
いつでも話くらいは聞くのでご飯いこ^^
同期へ
この一年、みんなには支えらてばかりでした。
優柔不断だし、物事をはっきり言えない。できるだけ物事は穏便にいきたいタイプの私は正直主将に向いていたか分かりません。
多分、「もっとしっかりしろ!」そう思わせたことは何回もあったと思います。
だけど、みんなに支えてもらって、みんながいたから、みんなとだったからここまで頑張れたと本当に感じます。
「最後に」
明日から第53回全日本ローイング選手権大会・第66回オックスフォード盾レガッタが始まります。
私たちは今日のために全てをかけてきました。
逃げ出したくてもやめたくても、毎朝起きてオールを握って川に浮かびました。
応援してくれる全ての人に。
私たちで感動を届けよう。
最高の仲間と最高の笑顔で終わろう。
挑戦を日常にしてきたこの1年を。
今年一の挑戦に変えて全員で闘おう。
103代主将 宮前千洋
お疲れ様です。102代森合一樹です。 まずは、今シーズンここまでご支援・ご声援くださった全ての方々、誠にありがとうございます。 そして今シーズン結果が残せていません。また、全日本選手権も今年はレベルに達していないとの判断により出場出来ませんでした。最上回生として責任を痛感しています。 現役部員の皆んな、不甲斐ない姿を見せて本当にごめん。ご支援・ご声援くださっているOB・OGの皆さまや大学関係者の方々。皆さまのご期待に添えない結果となっていること、大変申し訳ございません。 時間は残りわずかですが、最後の一瞬まで「インカレ入賞」に向かって改めて全力を尽くす覚悟です。 これからも応援のほどよろしくお願いします。 ラストブログは書きたいことを書けるラストチャンスなので ①関西大学漕艇部 ②COX ③最後に の3部構成で書こうと思います。 ダラダラ書いたので飽きると思いますが、許してください。 ①関西大学漕艇部 歴代の先輩が時系列で振り返っているものが多いので自分は乗った場所ごとに振り返ろうと思います 愛知池 ここは某企業の練習参加をさせていただいたことで数回だけ乗艇しました。正直な感想は慣れない水域の中、艇速が段違いで速く、ビビりまくって何も出来ませんでした。特にピッカピカ8+に乗らせていただいた時は危うく船折るところでした。本当に申し訳ありません。ただあの経験が自分とチームの実力を再認識する機会になったことは間違いないです。とても良い財産になりました。 加古川 大会の時期としても環境としてもあんま良い思い出ないです ただ初めてCOXとしてレースした場所でもあります。思い出すのは横風強すぎて待機水域ですぐ流されたことと初COXでブイパコ祭りしたこと、クッソ寒すぎ+トイレちょー我慢でアップから死ぬかと思ったことなどです。 23年の宿舎が水洗ではなくボットン便所だったことも追記しておきます。 今年はもう行かなくていいので、念願の学祭に行きます。 瀬田・琵琶湖 2023年朝日レガッタ/同志社大合同練で乗艇しました。 やはり忘れられない思い出は朝レのM4+3位です。準決出た大学で最下位のタイムだった予選・ドキドキしながら関学と戦った準決・全艇並びすぎて勝ったのか負けたのかもよく分からなかった決勝。 準決1位や決勝で3位が確定した瞬間大喜びしたことは未だに忘れません。創部初の4+表彰...
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