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澪標

ボートが大好き!ただその理由だけでどこの新歓にも行かず、2023年4月2日に試乗会に行き、ボート部に入部を決めた4年前。今考えると、いい意味でも悪い意味でも行動力えぐいと思います。 読んでくれてるかは分かりませんが、100〜102代の先輩方には「すごい子達入ってきた!」って思われてたと思います。後輩たちにもそう思われてたと思うし、今も思われてると思う。 女子しかいない代はこれまでにないし、マネージャーは引かれるくらいずーっと喋ってるし、我も強いし。 でも、この代がほんとに大好きで、みんなが同期だったから今まで4年間頑張ってこれたと思う!ありがとう! 中学入学した当初、外部でフィギュアスケートを本気でしたいからゆるーい部活に入ろうと決めて、フィギュアをやめた後もズルズル高3までいた料理部。月2回あったらいい方ってくらいまじでゆるゆるやったから、部活というよりサークルみたいな中高時代から一変して、初めての体育会系の部活。 きついことも多かったけど、楽しかった。 どの学年の思い出を切り取っても1番印象的なのは毎年夏休みなので、1〜3年の夏休みの思い出を振り返ろうと思います(誰得?!)。 もし良かったら読んでみてください。この振り返りが終わったあとから本題に入るので、興味ない人はすっ飛ばしてください🤲🏻 1年生 8月20日。男子ローが全然入らんくて、例年より遅い確定新歓を開催してくださった日の夜、たまたま今の同期のマネ5人で何故か艇庫に夜まで残って、タピオカを飲みながらめっっっちゃ色々話しました。 恋バナやったり、高校時代のことやったり。。。 その中でも1番印象的やったのが、100代のラストブログの話。 100代の先輩方がインカレに向けての思いやこれまでの思い出をラストブログで綴っているのを読んで、「うちらはラストブログで何書くんやろー?」「絶対今日のことは書こ!」って、1年やのにそんな話をしてたのを昨日のことのように覚えています🍀*゜ そして今、あの日話していたラストブログを実際に書いているのがなんだか不思議です。 100代の背中はとても大きくて、自分たちもあんな先輩になりたい!と思いつつ、学年が上がるにつれ、それを実現させることの難しさが分かり、より尊敬しました✨ 2年生 2年生は4年間の中でも結構印象的かも。 インカレクルーが発表されて、そのクルーが気に食わなくて101代の先輩たちと監督・コーチ陣に抗議したところから始まった夏休み。 今考えたら、2年生やのに生意気すぎて面白い。 なんだかんだあって、吉岡・島田ダブルの専属マネにゆずと自分が選ばれて。漕ぎが上手いのに、なかなかやる気を見せてくれない2人の専属は、色々あってめちゃめちゃ面白かった。 1年の時の専属はオッ盾エイトで、初めてのことも多くて右も左も分からんくて、部活に慣れるのに必死やったから、みんなでめっちゃ仲良くなれたかって言われたら全然やった。 それに比べて、部活の流れとか仕事とかに慣れた2年生はめちゃめちゃ仲良くなった。てか、仲良くなりすぎた。 2年生は専属もそうやけど、それ以上に部活全体で仲良くなったなーって思う。 こーゆユニット+αでBBQしたり、泊まるメンバーで艇庫でピザ食べたり、ケンタ食べたり、部員みんなで須磨に行ったり。その次の日に島田とゆずと3人でまた海に黄昏に行ったり。 たかがそんなことやけど、そんなこと全部がキラキラして楽しかった! 3年生 やっぱ3年の夏休みの思い出は何よりも幹部決めやな。 夏休み入る前くらいに、なかなか予定が合わんかった同期で初めてご飯食べに行った(普通に遅すぎ)。 そこで、うちらの代はどういう方針でやっていきたいか、誰が主将で誰が主務をするか話し合った。 その後約1ヶ月間くらい、あーだこーだ話し合って、うちらだけでは決めきれんから後輩の意見も聞いたりして、「この布陣が完璧や!!」ってなった。 そして監督たちに「こんな感じで行きたいです」って伝えたら、選手はスッと決まったのに、マネの布陣が「天と地がひっくり返ったんか?!」ってくらい変わって提案されてびっくりした。 そんなうちらでも何とか1年間やってこれたから、104代以降はもっと上手くやれると思う!!!頑張って! ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ここまで前置きです。前置き長すぎ。 本題入ります。 私がボートに出会ったのは2017年。 当時の塾の先生が大学でボートをしていて、そのまま実業団に入り、その先生を応援しているうちにボートにどっぷりハマりました。 当時は男子はスイープ、女子はスカルというイメージが強く、女子がスイープをする時代が来るとは思ってもいませんでした。 私が大学に入った年くらいから、全日本・インカレで女子がフォアやエイトを組んで出場しているのを見て、びっくりしたのを覚えています。 それが、今年のインカレでは関大も女子エイトを組んで出場し、その専属に付かせてもらっていることに、とっても嬉しい気持ちでいっぱいです!❤️‍🔥 みんなが最高の笑顔で船台に帰ってくるとこ待ってます♡ 大学4年間だけでも、時代が変化したと感じます。 私たちが1年生の頃はマネの人数が少なく、全員がインカレの専属に付いて、入って3ヶ月くらいで全国の舞台を見れた貴重な代だったと思います。 初めに言った通り、ほぼ帰宅部だった私にとって、真夏に6km×4のインカレ・オッ盾全クルーの並べがキツすぎて、終わった瞬間トイレに吐きに行ったのも今となっては懐かしい思い出です。 多分うちの同期、みんな1回は吐きそうになりながら部活したことがあると思う。普通に休め笑 誰に教えられた訳でもないけど、入部当初は休むことが許されない雰囲気があって。 加古川と兄の結婚式が重なった時も、結婚式の前日の夕方まで加古川で過ごし、結婚式の次の日も「積み下ろしは参加しないと!」と、できるだけみんなに迷惑をかけないように必死だった。 あとから同期に私が帰ったあとの話を聞いて、本当に過酷な仕事をしていて、帰らないといけなかったことを悔やんだし、あの時の苦労を分かち合えないことを未だに少しモヤモヤしています😖😢 でも、なによりも部活優先、プライベートは二の次っていう考え方がみんなにあって良かったと思ってます。 体育会に入ったことで、サークルとは違う厳しさや苦労をしてきたからこそ、今の同期の絆が育まれたと思います。 みんなそれぞれ考え方があって、生まれ育った場所もバラバラで、カルチャーギャップがありすぎて意見がぶつかることも沢山あったけど、それ以上に同期として出会えて本当に本当に良かったです! 大好きです!!! この4年間、本当に色んなことがありました。 入部してから今日まで1238日。 生まれたばっかりの赤ちゃんが幼稚園に入るくらいの日数です。 入部してから自分がそれくらい成長したといっても過言ではないと思ってます! 右も左も分からなかった1年の頃から、今まで。長かったようで一瞬だった1238日間。 残り10日間も、こんな“かんかん”をよろしくお願いします! 103代 中原花音

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感謝と最後のCOX論

お疲れ様です。102代森合一樹です。 まずは、今シーズンここまでご支援・ご声援くださった全ての方々、誠にありがとうございます。 そして今シーズン結果が残せていません。また、全日本選手権も今年はレベルに達していないとの判断により出場出来ませんでした。最上回生として責任を痛感しています。 現役部員の皆んな、不甲斐ない姿を見せて本当にごめん。ご支援・ご声援くださっているOB・OGの皆さまや大学関係者の方々。皆さまのご期待に添えない結果となっていること、大変申し訳ございません。 時間は残りわずかですが、最後の一瞬まで「インカレ入賞」に向かって改めて全力を尽くす覚悟です。 これからも応援のほどよろしくお願いします。 ラストブログは書きたいことを書けるラストチャンスなので ①関西大学漕艇部 ②COX ③最後に の3部構成で書こうと思います。 ダラダラ書いたので飽きると思いますが、許してください。 ①関西大学漕艇部 歴代の先輩が時系列で振り返っているものが多いので自分は乗った場所ごとに振り返ろうと思います 愛知池 ここは某企業の練習参加をさせていただいたことで数回だけ乗艇しました。正直な感想は慣れない水域の中、艇速が段違いで速く、ビビりまくって何も出来ませんでした。特にピッカピカ8+に乗らせていただいた時は危うく船折るところでした。本当に申し訳ありません。ただあの経験が自分とチームの実力を再認識する機会になったことは間違いないです。とても良い財産になりました。 加古川 大会の時期としても環境としてもあんま良い思い出ないです ただ初めてCOXとしてレースした場所でもあります。思い出すのは横風強すぎて待機水域ですぐ流されたことと初COXでブイパコ祭りしたこと、クッソ寒すぎ+トイレちょー我慢でアップから死ぬかと思ったことなどです。 23年の宿舎が水洗ではなくボットン便所だったことも追記しておきます。 今年はもう行かなくていいので、念願の学祭に行きます。 瀬田・琵琶湖 2023年朝日レガッタ/同志社大合同練で乗艇しました。 やはり忘れられない思い出は朝レのM4+3位です。準決出た大学で最下位のタイムだった予選・ドキドキしながら関学と戦った準決・全艇並びすぎて勝ったのか負けたのかもよく分からなかった決勝。 準決1位や決勝で3位が確定した瞬間大喜びしたことは未だに忘れません。創部初の4+表彰...

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