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反省あれど悔いなし

お疲れ様です。 103代、4回生マネージャーの辻本夏子です。 投稿が遅くなってごめんなさい!! 必死に書いたけど、体力の限界でなんて書いたかよくわからないブログになってしまいました!笑 4年間があまりにも長すぎて、一生書くことがなさそうに思えたラストブログが、ついに自分の番になりました。 が、まさかの私らしからぬ当日執筆‼️ 仕事が忙しすぎて、ラストブログを後回しにしまくり、なんとかなるやろと思っていたら、全然なんともならなくて大したブログも書けずに終わりました笑笑 最後のインカレ、まさかの国艇取れなくて(例年通り電話頑張ったんやけどなぁ)、おそらく人生一大変な遠征に今から行くのだと思うと、 主務として全く引退気分になれずにいます。 こんな時に限って体調も崩すし。 4年間を振り返ってエモい気持ちになることより、みんなちゃんとお風呂行けるかな、艇庫に忘れ物してないかな、誰も熱中症ならんといいな、熱出さんでくれよぉ、みんなが実力出しきれますように、明日遅刻しないでね‼️、試合時間変わったの⁉️とか、そんなことばかり考えています。 多分最後の1秒まで主務として生きるのが私の運命なのでしょう。誰か助けてください。 まぁでも今日ぐらいは、あまりにも長すぎたボート部での4年間をゆっくり(めっちゃ急いでるけど)振り返ってみようと思います。 めっちゃ長いので暇があったら読んでください😣 2023年4月。 受験がうまく行かなくて、4年間という学生生活で何か誇れるものが欲しいなと思っていた私は、たまたまれいさんに出会います。 気づいたら仲良くなっていて、気づいたらボート部の新歓にいました😂れいさんは新歓がお上手ですね!笑入部したあとも、たくさん可愛がっていただきました。 新歓はとっても楽しかったし、そこで出会ったあみさんという偉大すぎるマネの先輩に憧れてしまい、今すぐにでも入部したくなりました。しかし、大真面目な私は、ここに入りたい!と思うと同時に、ここで4年間本当にやり切ることができるのか、と真剣に考えました。 一度入ったらやり切るものだと思っていたから、入部を決めてもいないのに、真面目すぎて一人で早起きの練習なんてしていました。笑 そんなこんなで、散々悩んで散々検討した結果、2023年5月15日、4年間やり切れるだろうと踏んで、晴れてボート部に入部しました。 それから今日まで、びっくりするぐらいいろんなことがありました。 あんなに4年間やり切ると誓って入部したのに、全然普通に辞めたくなるようなことだらけでした😂 今振り返ってもよく辞めずに続けてきたなと思います。 💫一年生 一年生の思い出といえば、対校の男子クォドの専属になったことと、新歓担当になったことです。 偉大な100代の主将と副将が乗った船を、入部して2ヶ月しか経っていない自分が担当していいんだろうかと、心底心配したことを覚えています。知識がなさすぎて、ボートがどんなスポーツかも全然わかっていなかったけれど、クォドに乗る先輩たちが、何かすごいことを成し遂げようとしていることだけはひしひしと感じて、とにかく自分にできることをしようと必死でした。 応援している気持ちをどうにか形にしたくて、応援動画を作りました。あれがボート部で作る1本目の動画でしたね。 迎えたインカレ当日、人生であんなにハラハラしたことも、あんなに心の底から喜んだこともないと言えるほど、いろんな感情を味わった日でした。 4年間の全てをかけて、仲間の思いを全て背負って、一漕ぎ一漕ぎ力強く、着実に、ゴールに向かってやってくるまっくろに焼けた4人の大きな背中を、今もはっきり覚えています。 入賞が決まった瞬間、あまりにも嬉しくて、あまりにも感動して、あやねさんと泣きながら抱きついて喜びました。先輩たちは、夢が叶うことを身をもって教えてくれました。 たくみさん、ゆうすけさん、ゆうきさん、こうゆさん、あやねさん。一生忘れられない瞬間を本当にありがとうございました。 ボートの魅力も、ボート部の魅力も知った夏でした。 秋になって、なぜか新歓担当になりました。これはなかなか大変でした。初めてやってきた辞めたい時期でした。 加古川の遠征もいい思い出はなく、めちゃくちゃ苦しかったし、大好きだったマネの先輩が辞めてしまったのも重なって、こんなところに自分の4年間を捧げていいのかと真剣に悩みました。 でもむつきが引き留めてくれたこと、そして当時の幹部の先輩が必死に頑張っているのを知っていたから、なんとか踏みとどまりました。 ゼロから1を作るために最初は波乱すぎた新歓も、様々な苦労を共にするうちに、リーダーだったゆうじろうさんとすごく仲良くなって、最後は人生1レベルの強い絆が生まれました。今ではどんなことも話せる大事な先輩です👊 💫二年生 めちゃくちゃ頑張った新歓で入ってきてくれた後輩たちがあまりにも可愛すぎて、辞めたいなんていう気持ちは秒で吹き飛びました。 初シングルでひっくり返りまくっていたのに、だんだん乗れるようになってきた時のめちゃくちゃ嬉しそうな姿とか、今日沈しませんでしたって笑顔で報告してくる姿とか、緊張しながらちょっと姿勢良く伴走してる姿とか、真剣にお米の合数測ってる姿とか、全てが母性しか生みませんでした。笑 この子達のために頑張ろうって本気で思いました。この子達がこの部に入って良かったって心から感じられるように、自分みたいに辞めたいなんて思わないように、先輩頑張るしかないわ!って燃え上がりました。 そしてそれが、私がこの部でマネージャーをする理由になりました。 104代のみんなのおかげで、今私はここにいます。本当にありがとう。 そして、自分たちの代の新歓が始まりました。 いやぁ、ここなリーダーはすごかったですね。 ここなの熱量に感動して、一緒にめちゃくちゃ頑張りました。いろんなことを一緒に乗り越えたおかげで、新歓絆が生まれました。ここながどんな人か知るきっかけにもなりました。 一日中試行錯誤してビラ印刷し、疲れ果てた帰り道に買った韓国チキンの美味しさが尋常じゃなかったことをよく覚えています。 そういえば、頑張りすぎて喉が潰れて4月まるまる声でなかったけど、それも今となってはいい思い出です。ドラムみたいに、音声アプリで会話して、みんなに指示を出していました。懐かしい笑 そんなわけで、105代の子達との出会いは、カッスカス声でしたね。逆に覚えてもらえてラッキーでした笑 💫三・四年生 ついに幹部になる年になりました。 だけど、ぜんっぜん幹部が決まりませんでした。 毎日毎日、マネリーダーと主務を分けたいという主張を、高宮さんに挑み続けました。 そのうち、高宮さんから個人で論文みたいな長文説得メールが届くようになりました。 二人で電話ミーティングなんてこともしました。 役職は分けた方がうまくいくということ、主務は私ではない方がいいと思うということ、散々主張したけど、勝てませんでした。普通に負けました😂(今日はなぜか勝てたけど!) そしてまさかの幹部が決まらずに、戸田に行くことになりました。 戸田に行ってからもいろいろありました。 自分が悪いけど、思い出したくないぐらいの地獄でした。笑笑 同時に、身内で悲しい出来事もあって、ダブルパンチ?いやトリプルパンチ?ぐらいで、もう心も体もズタボロでした。 荒川に行ったら、雨上がりのめちゃくちゃ綺麗な夕日が出ていて、別に感傷に浸りたいわけじゃないのに、涙が止まらなくなりました。ボート部に入部してから初めて、母に助けてくれと泣きながら電話しました。もう帰りたい、こんな状況で主務なんてできるわけがないし、もう1秒たりともここにいることはできないと大泣きしました。 だけど戻るしかなくて、普通の顔して国艇に戻りました。そして、102代の先輩方が引退する前日、しかもその夜、主務兼マネリーダーになりました。 どうやってやっていくんだぁぁぁって思いました。 オフで家に帰っても、これから先のことを思うと涙が止まらなくて、ずっとずっと泣いていました。家族全員、これまで見たことがない私の姿をとても心配してくれました。母は、やめてもいいんだよと言ってくれました。だけど、父は違いました。絶対できるから、やりきってこいと言いました。やりきって、やりきったからこそ見える景色を見てこいと、どん底にいた私を這い上がらせてくれました。 それから今日まで、ただひたすらその景色を目標に頑張ってきました。やっぱり辞めたくなるようなこともいっぱいあったし、仕事がありすぎておかしくなりそうな時もありました。周りは笑顔で過ごしていても、余裕がなさすぎて全然笑えない日もありました。 就活との両立が難しすぎて、体調を大きく崩したりもしました。39度の熱だろうと資料作ったし、ミーティングの報告事項もまとめました。かかりつけ医の先生に、今週末はどうしても休めないんです、どんな手を使ってもいいから治してくださいって何度もお願いしてきました。笑 大事な大事な後輩に、遠征で苦しい思いをさせた時には自分の不甲斐なさを感じました。かわいい後輩たちに自分のように辞めたいなんて思わせない、それが私の目標だったのにできてないなぁって反省しました。もっとこうできたらいいのに、もっとこうしてあげられたらと思うのに、そこに割く時間は次々来る仕事に奪われていきました。 必死に仕事回して、ギリ60点ぐらいの回答出して、指摘されて落ち込んで、一人反省会して、落ち込んでる暇もないからまた仕事して、また出せるのは60点、みたいな毎日でした。 もっと器用だったらよかったのにってめちゃくちゃ思いました。 あまりにも長い一年でした。 大会が一つ終わるごとに、心底安心しました。 神崎での積み下ろしが済んだら、もう一歩も動けないってぐらい毎回ヘトヘトでした。 苦しくて大変で仕事に溺れて、全く余裕のない日々だったけれど、部員のみんなが支えでした。 みんなとするなんてことない会話が、びっくりするぐらい明日の活力になりました。やっぱり私はこの子達のために頑張るんだって日々思い直させてくれました。 練習で必死に頑張る姿も、試合で全力で漕いでくる姿も、全力で伴走してる姿も、あーだこーだいいながらエッセン配膳している姿も、しょうもないことで騒いでいる姿も、楽しそうにみんなで話している姿も、なつこさん!って話しかけてくる姿も、いつもありがとうございますって言ってくれる姿も、全てが私の支えでした。 関関戦トリプル優勝もめちゃくちゃ嬉しかったな。仕事ありすぎて一緒にその後喜べなかったけれど、ゴールした瞬間感動して一人で泣いていました。そしたら横にいたいつきさんが、しわくちゃなコンビニのお手拭きをくれました。笑  なんだかもう全て含めて、ありがとうって心からみんなに思いました。幹事校で、準備は死ぬほど大変だったけど、頑張ってよかったって思えました。今更だけど、最高の瞬間をありがとうございました。 大変長くまとまりがなくなってきました‼️ 眠たいし、時間もないのでまとめます笑 とある先輩が、引退後のインスタの投稿で、「反省あれど悔いなし」と投稿していました。 それを見て、かっこいいなぁ、こうなりたいなぁって思っていました。 その先輩がどういう気持ちであれを書いたのかはわかりませんが、引退目前の今、私も同じように、「反省あれど悔いなし」と心から思います。 4年間、この部活でいろんなことを学びました。 多分大学生でしなくてもいい苦労もしたし、苦しまなくていいことでも苦しみました。 いっぱい反省点はあるし、こうすべきだったかもしれないという学びはたくさんあります。 だけど、私はやってきたことに何一つ悔いはありません。 どの瞬間を切り取っても、私は全力でこの部のために頑張ってきました。自分の全てをかけて私にできる精一杯を、この部に尽くしてきました。 だから、あの時こうしておけばよかったという後悔は何一つありません。 あの時した選択は全て私の精一杯だったから。 100点満点と言える仕事はできなかったかもしれないけれど、いつだってこの部のために全力を尽くしてきたこと、そしてそんな日々を4年間やりきったこと、それが私の誇りです。 その誇りを見つけることができた今は、あの辞めたいと悩んだ日々を乗り越えてきてよかったなと思います。 大変だったけど、人生で一度くらいこんな経験しておいてよかったかもなと思います。 全力でやってきたから、あの時間を無駄だと思うことなく、むしろ誇りに変えられるのかもしれないと思います。 ボート部の四年間は、あまりにも長いです。 楽しいことだけじゃなくて、辛くて苦しくて終わりが見えなくて、どうしたらいいのかわからないようなことも、たぶんあります。 そんな日々を乗り越えるコツは、目的を持つことです。 私にとっての目的は、やりきった先にある景色を見ること、そして、後輩たちのためにこの部をよりよくすること、でした。その二つの軸があったから、どんなに苦しくても戻ってくることができました。 なんでボートをするのか、なんでマネージャーをするのか、その答えをみんなが4年間のどこかで見つけられることを願います。 そのためには、日々全力で向き合うのみです。目的を見つけるという目的のために、全力で向き合って、ぶつかって、必死こいて登った壁の向こうで、次の壁までの新たな目的がまた多分現れます。そうやって一つ一つ登って行った先に、多分全力でやってきた人にしか見えない景色があります。 あっという間だけどちゃんと長くて、長いけれど実は短い4年間。お給料なんて発生しないし、頑張っても頑張らなくてもいい自由があるけれど、せっかくボート部に入ったのならば、悔いが残らない過ごし方をしてくれたらなと思います。 もう無理だと思っても、人間案外乗り越えられるものです。歯を食いしばって向き合っているうちに、大きく大きく成長しています。 選手でもマネージャーでも、ボート部にいる意味を見つけて、そこに全力で向き合って、後悔なんて何一つないと言って、笑顔で引退してくれることを、一人の先輩として願います。 4年間大変なこともたくさんあったけど、総じて、この部で頑張ってきてよかったなと思います。 仕事もあるだろうに毎週来てくださる監督コーチ陣の皆様、現役のことを我が子みたいに応援してくれる紫紺会の方々、引退してもずっと応援してくださる先輩方、リーキャンで出会った共に頑張る主務仲間たち、どんなお願いをしても嫌な顔一つせず助けてくれた後輩たち。 そして、全キャラ揃ってると言えるぐらい個性豊かでおもしろい同期たち。 頼りない主務だったと思うけど、同期のみんなに支えられて、助けてもらって今日まで来ました。本当にありがとう。 この4年間で、ボート部にいないと出会えなかった人にたくさん出会いました。 そしてそのすべての人たちに助けられてやってきました。 100代から106代まで、すべての皆様のおかげです。本当にお世話になりました。 そして、私ならやり切れると、私よりも私を信じてくれた父にも、感謝の気持ちでいっぱいです。信じてくれてありがとう。 4年間、関大ボート部を全力で応援できて本当に楽しかった! 力の限り叫んで、たくさんカメラのシャッター切って、みんなと一緒に笑って、一緒に泣いて。 これ以上ない幸せな時間でした。 これからは、もうちょっと自分のために時間使おうかな。笑 やりたいことがたくさんです! 私も自分の次のステージで精一杯頑張るので、みんなも関大ボート部で過ごす時間を駆け抜けてください。これから先もずっとずっとずっと応援しています。 本当にお世話になりました! と言いたいところだけど、 最後、インカレ全力で応援しています。 調整するのにベストな環境を用意してあげられないことが非常に悔やまれるけれど、 どのクルーもこの夏の成果を出し切ってきてくれることを心から祈っています。 一つでも多くの試合を見れるように。 一つでも多くのガッツポーズを見れるように。 最後まで、関大ボート部のマネージャーとして、主務として、精一杯頑張ります。 いっぱい頼ってね。 103代 辻本夏子 同期とか、つきふぉあとか、後輩マネとか、千里とか、書きたいことがたくさんあったのに、体調が限界で力尽きてしまったので、ちょこちょこ追記していきます!!!いつか読みにきてね🫶 やっつけ仕事になってしまって、なんだかブログもまともに書けなかったのでまたちょこちょこかきなおします笑笑 おやすみなさい!!

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感謝と最後のCOX論

お疲れ様です。102代森合一樹です。 まずは、今シーズンここまでご支援・ご声援くださった全ての方々、誠にありがとうございます。 そして今シーズン結果が残せていません。また、全日本選手権も今年はレベルに達していないとの判断により出場出来ませんでした。最上回生として責任を痛感しています。 現役部員の皆んな、不甲斐ない姿を見せて本当にごめん。ご支援・ご声援くださっているOB・OGの皆さまや大学関係者の方々。皆さまのご期待に添えない結果となっていること、大変申し訳ございません。 時間は残りわずかですが、最後の一瞬まで「インカレ入賞」に向かって改めて全力を尽くす覚悟です。 これからも応援のほどよろしくお願いします。 ラストブログは書きたいことを書けるラストチャンスなので ①関西大学漕艇部 ②COX ③最後に の3部構成で書こうと思います。 ダラダラ書いたので飽きると思いますが、許してください。 ①関西大学漕艇部 歴代の先輩が時系列で振り返っているものが多いので自分は乗った場所ごとに振り返ろうと思います 愛知池 ここは某企業の練習参加をさせていただいたことで数回だけ乗艇しました。正直な感想は慣れない水域の中、艇速が段違いで速く、ビビりまくって何も出来ませんでした。特にピッカピカ8+に乗らせていただいた時は危うく船折るところでした。本当に申し訳ありません。ただあの経験が自分とチームの実力を再認識する機会になったことは間違いないです。とても良い財産になりました。 加古川 大会の時期としても環境としてもあんま良い思い出ないです ただ初めてCOXとしてレースした場所でもあります。思い出すのは横風強すぎて待機水域ですぐ流されたことと初COXでブイパコ祭りしたこと、クッソ寒すぎ+トイレちょー我慢でアップから死ぬかと思ったことなどです。 23年の宿舎が水洗ではなくボットン便所だったことも追記しておきます。 今年はもう行かなくていいので、念願の学祭に行きます。 瀬田・琵琶湖 2023年朝日レガッタ/同志社大合同練で乗艇しました。 やはり忘れられない思い出は朝レのM4+3位です。準決出た大学で最下位のタイムだった予選・ドキドキしながら関学と戦った準決・全艇並びすぎて勝ったのか負けたのかもよく分からなかった決勝。 準決1位や決勝で3位が確定した瞬間大喜びしたことは未だに忘れません。創部初の4+表彰...
「勝負」 初めまして! 法学部一回生漕手の渡邉太陽です。 まずは加古川レガッタお疲れ様でした。マネージャーさんなどの支えてくださった皆さん、本当にありがとうございました。おかげさまで試合に集中することができ、良いレースができました。 今回は初めてのブログということで全くもって上手く書ける自信はなく、拙い文章だとは思いますが最後まで読んで頂けると嬉しいです。 関西大学ボート部に入部してから、気がつけば半年という時間が過ぎました。西日本選手権をはじめ先日の加古川レガッタまで数多くの大会に対校クルーとして出場する機会をいただきました。正直に言えば、入部前の僕は高校時代とは異なって、勝負の世界からは少し距離を置き、もっと自由で楽にボートを楽しもうと考えていました。高校最後のインターハイでは全体のちょうど真ん中という、なんともパッとしない成績で終わったこともあり、大学では"インカレに出場することができたら満足だな"程度の気持ちしかありませんでした。なので、これほど多くの大会に対校クルーとして乗せていただけるとは思ってもいませんでしたし、ここまで真剣にボートへ力を注ぐようになるとは、自分自身想像していませんでした。 関大での練習が始まって最初はメニューも軽いものがほとんどでしたし、様々な意味で高校とは環境が異なり、楽にボートができる日々が続き、しんどいなんて思うことはほとんどありませんでした。しかし、練習を重ねていくうちに、「今のボートはただ朝早く起きて淡々と作業してるだけであり、楽ではあるけど全くもって面白いものではない。やはり自分は高校の頃と同じように勝ちを追い求めていきたい、勝負の世界を生きたい。インカレ出場なんか低い目標ではなく、インカレで入賞、メダル獲得といった高みを目指したい」と思うようになりました。 そして、対校クルーの一員として挑んだ関関戦、関西選手権はどちらも良い結果を残すことができませんでした。このとき、経験の無いスイープ種目で大会に出場するという貴重な体験と同時に対校クルーとして勝負することの重要性、責任の重さを改めて実感することができ、今まで以上に努力を重ねなければならないと痛感しました。 様々な経験をして迎えた大学ボート最大の舞台インカレ。目標はインカレ入賞。102代の対校M4Xのストロークを任せていただき、高校時代から多くの経験が...

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