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覚悟

 

どうも、アドリブに弱い

102代主将の松山聡一郎です。


同期がいいブログを書く中、とうとう自分の番がやってきました。


関大ボート部になって気付けば1194日。

今日まで、来る日も来る日も艇に乗り込み、オールを握り締め、漕ぎ続けてきました。

そんな僕もあと6日で、艇を降り、オールを置き、漕手としても主将としての役目を終える。

もう手に無数のマメができることも、箸が握れないほど手のひらの皮がむけることもなさそうです。


そんな引退ライフの1日は朝日がのぼり出したと同時に起き、朝一杯の水を飲み、愛犬のチャロと一緒に散歩に出るところから始まる。


夏の暑さが和らぎ、夜明けとともにひんやりとした澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。黄金色に色づき始めた稲穂は朝露に濡れてきらめき、風に吹かれてゆらゆらと揺れ、さやさやと小さな音を立てる。鳥たちのさえずりが、その静かな朝をやさしく彩っている――完璧すぎる朝。


……でもふと脳裏にチラつくのは、あの“完璧とは程遠い”朝の風景。


なしクォドのメンバー

・集合30秒前に爆速チャリで滑り込み、息切れしながら「セーフ!」って顔する宮城県民。

・乗艇準備そっちのけで、なぜか自分の着替えを優先する元バイト仲間。

・1日8個ペースで塩分チャージを摂取し、もはや人間よりスポドリに近づいてた同期。


そんなしょうもないメンツと、くだらんボケを飛ばし合いながらオールを船台に運ぶ毎朝の騒がしさ。


極めつけは、朝から変なテンションで絡んでくる愛知のかまってちゃん。あの“早朝テンション”に捕まると、こっちの目覚めも強制的に開く。


静かな朝の散歩も悪くないけど、正直ちょっと恋しくなる。――あのカオスな日常が。


で、ふと思う。

あれほど毎日を埋め尽くしていたボートがなくなったとき、自分は何に熱中できるのだろうか、と。


「趣味を探せばいい」って言われるけど、やっぱり本気で打ち込めるものほど心をワクワクさせてくれるものはない。


引退後の安堵を感じながらも、同時にこれから熱中できるものがなくなるんじゃないかーーそんな不安を抱えています。


でも、こうして思えるのも、一緒に頑張ってきたチームのみんながいてくれたからだと心から思う。

僕の代になってからは色んな問題が多くて、その対応に追われ、死んだ顔をしている時も正直多かった。

それでも漕手・マネージャーのみんなの協力があったからこそ、最後までやり切ることができそうです。


本当にありがとう。


そんな感謝の気持ちも込めて、今日は素直な想いを書かせて頂きます。


すでに長くなってしまったけど行ってみよう!

今日は長いよ。心して読んでね笑


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


少しだけこの1年にかけてきた思いをみんなに語らせてほしい。



去年の6/15、来年の幹部決めについて同期と真剣に話す機会があった。


主務や副務はスムーズに決まっていったが、「主将をどうするか」という話題になった瞬間、場が一瞬止まった。


最初に声を上げたのは裕次郎だった。


「主将をやりたい」


だが、その言葉を聞いて、普段はあまり意見をはっきり言わない自分も、その日は違った。


「主将をやらせてほしい」

そう、伝えた。


そこにはどうしても成し遂げたいことがあった。




それは、憧れだった100代の先輩たちが築き上げたボート部を超えたいという思い。



創部100年にして初めて男子なしクォドがインカレで入賞したあの瞬間。 


部員全員船台に集合して、満面の笑みで写真を撮ったのを覚えてる。

(全員の重さで、船台が沈みかけたのも…)


誰もが自分ごとのように喜んでいたあの姿。

そして、僕に感動を与えてくれたインカレメンバー。――本当にカッコいい先輩たちだった。



そんな先輩を超えたい。

この一心で僕は主将になろうと決意した。


2人ともお互い102代をどういうチームにしていきたいか、主将やる意気込みなどを同期の前で伝え、その後投票をしてもらった。


その結果は同票。


このままではらちがあかないので、部にアンケートをとった結果(2回生の意見を元に)で決めることに。


だが、これもまさかの同票。


結局、何度か同期の中で主将を決めようとしたが、なかなか決まらず、監督・コーチ陣に決めてもらうことになった。



それから3ヶ月が経ち、インカレ1週間前に…

この年はインカレの前に台風が近づいていたので、急遽3回生が戸田inして、国艇でゆっくりしていた。ベッドで台風が過ぎ去るのを待っている時に、急に監督から電話がかかってきた。


「来年の主将はそういちろう、副将はゆうじろうでいく。」と言われた。


その時、嬉しさと同時に、一気に主将としての重圧を感じた。

100年以上続いてきた歴史の重みが、肩にのしかかってくるようだった。

それに僕らの代は、あまり結果を残せてない代だった。


3回生で主将に就いたとき、目の前にあったのは、2回生が少なく、1回生が大勢を占める、経験の浅いチームだった。インカレに出場したことのある漕手は、自分を含めてたった2人。この現実を前にして、まずはチーム全体の力を底から引き上げることが、避けて通れない使命だと感じた。


チームの底上げには、まず上級生が本気であることを示さなければならない。

主将である自分がどれだけ背中で語れるか、どれだけ本気になれるか。それが鍵だと思った。だからこそ、それまで以上にボートに真剣に取り組むようになった。


それでも、自分はチームの精神的支柱。

「自分のエルゴタイム次第で、下級生の取り組み方が変わる。」

そう自分に言い聞かせ、人一倍練習に打ち込み、下級生がエルゴを引くときには声を枯らして応援した。

自分が変われば、チームが変わる。

そう信じて、ただひたすらエルゴに向き合った日々だった。


長い冬練が終わり、いよいよシーズンイン。

引退まで、あと半分。


西日本、関関戦、関選と大会が立て続けにやってきた。

試行錯誤を重ねて挑んだものの、チームとしては思うような結果を残せなかった。


苦しい日々が続き、心の中で問いかけていた。

「このまま何も残せずに引退してしまうのか…」


――そして迎えた、インカレメンバー発表の日。

これが、自分にとって最後のラストチャンスだった。


メンバーは関選と同じ顔ぶれ。

ただ、自分は大きな決断をした。

これまで大会で一度も経験のない“スカル種目”に挑戦することを選んだのだ。


その選択にはいくつもの理由があった。

中でも大きかったのは――100代が成し遂げた「なしクォドの入賞」。

あの背中を追いかけ、自分もその舞台で勝負したい、という強い気持ちだった。


そして迎えた夏。

インカレに向けた練習は想像を超えるほど厳しく、さらにインカレ直前の1週間には院試も重なった。肉体的にも精神的にも、限界を試されるような日々だった。


それでも、自分が折れずにここまで来られたのは、支えてくれた仲間がいたからだ。


その仲間への感謝を、ただの言葉で終わらせるわけにはいかない。

僕らはこの想いを力に変えて、対校として必ず結果を残さなければならない。


――だからこそ。

さぁ、ゆこう。最高の景色を見に。





-p.s.-

院試は受かりました!!

よかった(笑)

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