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ぼくのなつやすみ

お疲れ様です。小藤です。

主務としての仕事が大方終わり、あとはインカレが無事に終わるのを見届けるのが最後の仕事となりました。振り返ると同時に何か後輩たちに伝えられたらなと思いながら書いたので最後まで読んでみてくれると嬉しいです。


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「大学生は人生の夏休み」

高校までの勉強や部活などのやるべき事に追われる事なく、自分の自由に時間を使うことができ、その気になれば好きなだけ遊び惚ける事ができる大学生活を揶揄するこんな言葉があります。怪我で部活を辞めてから他に何かを本気で頑張る事も無く、指定校推薦で関大に来た僕は高校生の頃から一足先に人生の夏休みを過ごしていました。入学するまでは大学生活もただ4年間人生の夏休みが増えるだけだろうと思っていました。


4月、中高6年間男子校で過ごした僕はキャンパスに溢れる女性に圧倒されながらオリエンテーションに参加しました。そしてみんなと同じように新歓で艇庫を訪れ、当時の先輩方の雰囲気に惹かれ入部を決めました。入部してから同期と馴染むのは意外とスムーズで、出会って初日で裕次郎の家でピザを食べたり、まさとの家で料理を作ったり、とある奴は僕の家からバイトに行き僕の家に帰ってきたり...森合はLINEの友達以外からのメッセージを拒否する設定で一生無視が続き最初からヤバい奴で聡一郎は当時から既に僕らより色んな意味で少し大人でした。


こうして僕の人生の夏休みが始まりました。


漕艇部に入った選択は間違いなく正解でした。大学の友達の旅行や飲み会のストーリーが羨ましいとすら感じない程最高に楽しい1.2回生でした。選手としてではないスポーツとの関わり方は僕に新しい発見と成長を施してくれました。1回生の頃の思い出といえばインカレオフで同期と行った天橋立グランピング。「ボート関係ないんかい」そう言われてと仕方ないけどほんまに楽しかっです。監督からのメールもない、来週の部活の事も考えなくていい、超気楽だったし夢中で遊びました。夜には部活の話題で持ちきりで「俺らの代は誰が主将かな?主務かな?」みんなも1度はしたであろうこの話題で盛り上がったのを今でも覚えています。そして謎の喧嘩もして真夜中に天橋立を往復するっていう馬鹿な事もしました(往復7.2キロらしいです...)

まさか僕が主務になるとはこの時1ミリも思ってなかったし、なりたいという気持ちも1ミリもありませんでした。


ボート部の生活はあっという間で気づけば3回生になっていて先輩より後輩の方が多くなっていました。急に飛ぶけどこの間も部活に対して手を抜こうと考えたことは有りませんでした。「遅刻」とか1番嫌いでした☺️


そして3回生の秋、主務になりました。

「主務は仕事できで完璧人間」こんなイメージが1回生の頃からありました。みんなも似たようなイメージを持っていると思います。完璧ではない僕が完璧人間を目指す1年でした。そもそも遅刻するタイプの人間ではなかったけどアラームを少し早めてみたり、書類提出の際には何度もチェックをしてみたり。大雑把な僕は慣れないうちは「ミスったら部活終わるよ〜」と自分に発破をかけながら日々過ごしていました。夜中突然起きて次の日オフなのに部活...と寝ぼけて言っていたと聞いた時には信じられませんでした。そして自分の中では考えて出した回答が不十分だった時の監督からの心無いメールは完璧を求められていることを毎度実感しました。ちょっと喧嘩気味にメールを返してみたり、初めて全部放り投げて辞めようかなとも考えました。


部活を嫌になったあの頃を思えば自分で自分に典型的な幹部像を押し付け徐々に疲弊していたのかなと思います。主将・副将は部内で1番部活にストイックで実力がなければいけないし主務・副務は1番しっかりしていないといけない。この考え方を持つのは上に立つ者として大事な反面自分を追い込みすぎてしまう危険な考え方だと思います。次の幹部も気をつけてほしいです。ましてや誰かからの幹部像の押し付けなんて無視してなんぼです。「幹部なのに...先輩なのに...」後輩達はこの言葉は先輩達にかけないであげてほしい。ミスをする事も勿論あると思うけど1人の選手として、1人のマネージャーとして頑張る先輩達を支えてあげてください。


最初は義務感でやっていた事務作業もいつしかみんなの為にと思うようになっていました。人を支え、人のために動く幸福さに気づいたんだと思います。「みんなが部活に集中出来る環境を裏からささえる」これが僕の主務としてのやりがいでした。直近だと先週の新人の交流戦後に「この試合楽しかったです!ありがとうございます!」と言われたときは部員のために動いてよかったなと実感しました。いい文化になるのではと思うので是非続けてみてください。時には期限にうるさく、怖くて鬱陶しい主務だったと思います。多分この1年で君たち全員の「やべっ..」て顔を見たと思います笑


朝起きてメールを確認して、夕方もう一度メールを確認する。バイトをしてないおかげで無限にある時間で事務作業を終わらし用事があれば大学に足を運ぶ。毎週火曜は主務会、月末は聡一郎とスーツを着て主将主務会に参加。ただ自転車を漕ぐだけだった3年間から一変したこの生活がなくなる事に嬉しさ反面少し寂しさも感じます。多分引退しても癖で起きたらパソコンを開いてしまうと思うし、火曜主務会の時間が近づくにつれ少しソワソワすると思う。それぐらい僕の生活の一部だったんだなとこのブログを書きながら思います。


最後に体育会マネージャーについて少し語って終わろうと思います。


就活で良く「なんのためにマネージャーしているの?」と聞かれます。あなたはどう答えますか?


僕の答えは「チームの勝利のため」です。マネージャーには練習外・練習中・試合中それぞれに役割がありその役割を選手ではない立場の人間が本気で取り組んでいる事は必ず勝利に近づくと断言できます。大学スポーツともなると仕事の規模も大きくて主務になって初めて裏方の大変さに気づきました。マネージャーが普段伴走やエッセン以外に受け持っている仕事を選手に担当してもらうのと試合に出ない部員が担当するの、どちらが勝利に近いかは明白です。選手にボートに集中してもらう事こそがマネージャーの存在意義の1つだと考えています。プレーをしない立場だからこそ「チームのために自分に出来ることはないか?」と考える義務があるし価値を発揮していく必要があると思います。だから競技以外の役割を完璧に遂行し、チームをより良くするために何が出来るのか考えあとは選手を信じます。自分のやっている仕事に本気なのであれば、プライドを持ってください。ミスを指摘されれば素直に受け入れ、考えと違う事を言われれば反論すれば良いんです。それが先輩であれ監督コーチ陣であれ。本気で取り組んでいれば、必ず成長できるし、いつかやりがいに変わるはずです。同じタイミングで入部した素人同然の同期が、全国の経験者達に食らいつこうと努力し、最後の最後までその可能性に寄り添えるボート部のマネージャーはとても魅力が詰まってると思います。1年生は特に何のためにやっているのかまだ明確な答えを出せてない子の方が多いと思います。「大人数のエッセンを1人で捌けるようになる」「後輩に的確な指示を出せるようになる」「同期の引退試合を見届ける」何でもいいので1つ目標を持ってこれからまだ長いマネージャー人生を走り抜けてくれたら嬉しいです。


ここまで長くなってしまったけどこの4年間関わってくださった人のおかげで僕の人生の夏休みは最高に過酷で、最高に充実したものに変貌し、これからの人生の糧となる素晴らしい経験と財産を得る事ができました。この1年は特に暇せず楽しかったです。


近くの水は透明だけど、遠くに見える海は青く

吸う空気は透明だけど、遠くに見える空は青い色のない日常も、遠い未来から見れば「青」春と呼べる日が来るだろう


僕の好きな言葉です。正直他の大学生と比べるとしんどくて、色のない日常だけど1日1日を大切に頑張ってください。いつかこの日々を懐かしむ日が来るはずです。引退しても応援しています。


102代 小藤壱哉

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