想像していた4年間とは違った。
ボート部というものを両親から初めて聞いてこのスポーツを知りました。大学から始める人が多くて、みんなが全国優勝を目指して刮目する世界。そんなところに憧れて自分もいつかインカレ優勝する!なんて目をキラキラさせながらこの部の門を叩きました。関大に合格した頃から父から戸田のボート界の"当たり前"をたくさん聞いていたこともあって、自分もそんな世界の一員になって関大ボート部を引っ張ってやる!なんて思っていて、2000ttは4年後には6:30カット、関大の歴史を変える、誇れる戦績を作るんだと意気込んでいたことを今でも覚えています。
こんな3年前の自分と同じように夢と希望に満ち溢れた後輩のみんなへ向けてこのブログを綴ったので最後まで読んでいただけたら光栄です。
入学以前の話に遡ります。自分は先輩が嫌いでした。後輩も仲良くありませんでした。そんな高校時代を過ごしたことに加えて、関西の体育会のゴリゴリな人たちと共に過ごすということに嫌悪感を抱いていました。入部してからは新人指導と上回生が完全に分けられていることもあって半年間は高校生の時と同じように同期とほぼ毎日遊んでいました。いっさ、まさと、まっつんと4人で何回も泊まって遊んでいた日々はとても懐かしく素敵な思い出です。みんなで天橋立に行ったのもめちゃくちゃ懐かしいです。意外と自分はアーチェリーの才能がありました笑
1年生の9月頃、102代が上回生と同じ行動をするようになった時自分の人生は大きく変わったように思います。これまでは話したことのなかった先輩もインカレが終わってから毎日顔を合わせるようになると何度も一緒にご飯に行ってくれたり、部活前後でたくさん話してくれたりと今までの先輩への嫌悪感が一気に晴れました。ミー3でのスマブラ、練習後に何度も行った吉野家、加古川や浜寺へ向かう車内、博多旅行、日曜日夜のご飯・飲み、個人的な相談、それぞれ共に過ごした思い出の時間はバラバラですが、この毎日が自分は本当に幸せで大切な思い出です。特に101代の先輩方は1番長く一緒にいたこともあって引退してほしくなかったです。皆さんの背中を追っている毎日は本当に楽しく自分もこんな先輩になりたいなって思っていました。新勧リーダーで自分が苦しかった時、エルゴのタイムが伸びない時、乗艇技術が無くてボート無理だわってなってる時、幹部をやりたいと思っていた時、励まし方や支え方はそれぞれ全然違いましたけど、親身に話してくれて時間を過ごしてくれて自分に気を遣って部に対して働きかけてくれたりと、自分を大事にしてくれていることをすごく感じて、この期待に応えなきゃと思えたし、なによりそのおかげであの時自分は頑張れたし、安心して活動できていました。自分にとって理想の先輩方です。今の自分があるのは間違いなくみなさんのおかげです。心から感謝しています。自分にとっての楽しい部活は先輩方に創っていただきました。
自分の4年間を振り返って
競技人口が少ないことや未経験者が多くいるこのボートは全競技者の中で全国大会に出場する選手の割合は高い部類にあります。実際に全国大会に出場できたら凄いんだろうけど、自分もこのまま努力しておけばその舞台に立てるんだろうなっていう感覚が正直ずっとありました。ボート部に入ったら全国大会に出て当たり前。自分にもこのまま4年間やっていればできるだろと思っていたその当たり前は非常に過酷で、決して簡単なものではありませんでした。例年多くの人がたどり着いている=自分もこのままやってたらいけるなんてのは甘すぎる考えでした。
インカレで戦うという当たり前だと思っていた理想に対して容赦ない毎日の積み重ねという現実は自分にとって非常にしんどいもので成し遂げることはできませんでした。
自分は4年間多くのことを自分なりに学んできたし頑張ってきたと思います。それではなにがいけなかったのか。勝利と自分なりの努力っていうのは関係がないところに気づかなかったことです。もしかしたら気づいていたけど、気づいていないふりをしていたのかもしれません。自分なりにエルゴをがんばってウエイトをがんばって、簡単な生活の基準を守ること(練習90分前に起きる、タンパク質を体重の2倍g摂るなど)ばっかりに執着していました。全国で戦う選手になるという目標とは裏腹にレベルの低いところで満足していた日々が大半だったと思います。サッカーやテニス、野球など多くのスポーツでは個人の練習の質やがんばりを数値化することはできません。どのチームも選手もチームなりに自分なりに頑張ることを強いられ、それを反省する中でよりよいものを生み出していきます。ありがたいのかそのせいで地獄なのか、ボートは毎度の練習で客観的数値が表れます。自分のように詰めの甘い選手はむしろそれをありがたく厳しくやるべきでしたが、自分は客観を簡単に提供してくれるありがたいスポーツなのにそこに対して戸田の猛者ほど、憧れた先輩ほど、熱狂することはできませんでした。毎回毎回その客観的数値から目を背け、もう動けません!死にそうです!っていう思いをしたことはあまり多くありません。今こうやって文面化して恥ずかしいし情けない限りです。
何度も言いますが、こんなに情けない自分ですら入学前も、入部後も、102代をスタートした時も野心はありました。逆に言えば野心しかなかったのかもしれません。でも自分と同じように誰にだって野心はあります。難しいのは体現することです。最後のインカレでまともに戦えるのは野心に対して謙虚に向き合い、毎日真っ当な努力をできる人なんだと思います。野望と毎日のギャップをつきつけられる辛い部活だったと思います。
後輩たちへ
今はまだこんなんでもいつか自分も強くなれるなんていう傲慢さが俺みたいなやつを生むんだと思います。ここまで読んで俺は大丈夫なんて思った君はそういうところをやめてほしいんです。笑
後輩の皆さんは自分のことを反面教師にして欲しい。エルゴも速くないし継続力もないし、夢に向かって努力し続けることもできなかった。
インカレに出場して、メダル争い、賞状争いができることを普通の努力で達成できるものだと思わないで欲しい、自分はこのままいけばインカレ出場だなんて思わないで欲しい。
死ぬ気でやって、それを1日とか1ヶ月とかじゃなくて、1年、2年、3年、本当の意味での毎日続けた過酷な努力の末にある舞台であることをわかって欲しい。
オッ盾で引退しようなんて思わないで欲しい。
このままいって全国レベルに辿り着けるのか辿り着けないのかわからないけどとにかく勝ちたいからがむしゃらに努力する!っていう毎日でいてください。
じゃあ、自分の4年間は無駄だったのだろうか。
自分は確かに超ストイックに頑張ることはできなかったし、実際勝利を掴まずに引退することになりました。しかし、4年間を通して本当にたくさんのことを学ばせていただきました。
そして、さっき書いたことと逆のことを言いますが、自分なりにがんばる、正しいのかどうかは分からないけどやってみるっていうのは本当に大切なことだと思いますし、自分はそれがバイブルのようなものでした。
自分は図工とか、美術とか手を使ってなにかする類のものは不器用なので昔から苦手で、スポーツなのにカチャカチャする感じからリギングが始めは大嫌いでした。練習のたびに試行錯誤を繰り返して、分からないことがあったら先輩やコーチ陣に相談していました。下回生の頃は何かあるたびにこうゆさんを呼んでいたので「そろそろ覚えろや」「少しは自分で考えろ」と怒られていたのが懐かしいです。怒りつつ毎回教えてくれたので好きです。今はもしかすると現役のメンバーの中では1番詳しく、上手にリギングができているのかもしれません。なんか最近後輩たちにリギング柱に任命されました。✨
そして自分は新歓リーダーとして、副将として本当に多くのことを学ばせていただけたと思っています。自分の考えで同期や後輩、新歓では先輩も統率するプレッシャーは凄まじいものでした。101代が新勧を牽引している時、自分は整理整頓班だったので新歓なんて全然詳しくなかったですが、そうすけさんにやってみないか?って聞かれた時には思わずやります!と言ってしまいました。これが転機だったようにも思います。そうすけさんはこの後の部活でも就活でもたくさん自分の人生を導いてくれた恩人です。
今振り返ってみても、あの時やってみて良かったです。自分がリーダーとなった組織では誰かが助言してくれることはあっても、誰かにああしなさい、こうしなさいと言われることはもちろんありません。そのため自分が主体的に考えて行動して、指示を出す必要があります。最初は新歓班の後輩たちに本当にたくさん迷惑をかけました。一つ下のマネたちとばちばちになった時期もありリーダーとして下手くそだったんだと思います。それでも1組織のリーダーとしてただ運営することだけを考えるのではなく、どうしたらお互いやりやすいかを常に考え続けて、最後は理解しあって協力できるようになったと思います。あの時期は自分のキャパも今よりはるかに小さくて確かにめちゃくちゃ辛かったけど、102、103代を中心としてみんなで頑張れた素敵な思い出です。みんなの意外な一面をたくさん知ることができました。
そして副将となって早くも1年が経ちました。
副将として自分はでかいことをしたのかと言われれば何もしてないですが、部員一人一人の悩み事全てにイニエスタくらい顔を出そうと思っていました。(サッカーを分からない人はすみませんが、イニエスタは色んなところに顔を出してプレーするので敵チームからしたら厄介です)名前の無い仕事ばっかりだったと思いますが、未来のチームが少しでも練習しやすいように思考を巡らせて頑張れたかなぁと思います。
極端に変えようとして同期を困らせてしまう部分も多くて迷惑をかけたなって少し反省しています。自分の言ったことが正しかったのか間違っていたのか分からないけど、みんなは信じて頼ってくれました。最近、小さなことですが、宮津の高校生が来た時ここなとちーちゃんにゆうじろうさんにしか頼れないみたいなことをぽろっと言われた時はお世辞とは思わずにめっちゃ嬉しかったです。笑
今までの小さな積み重ねの毎日が身を結んだような気がしました。ありがとう。
4年間自分は結果を残せることはできなかった。入部した時にたてた目標を達成どころかかすることすらできなかった。それはスポーツをする競技者として、部の副将として恥ずべきこと、これに変わりはありません。それでもこの4年間を通して自分なりに努力して、他の人には経験できないようなことから多くのことを学んで、部のために一生懸命活動してきたことを誇りに思っています。
競技者として、応援してくれる人のためにもまだまだ未来があるみんなには貪欲に結果を狙い続けて欲しいです。それでも、他者と比較せず、客観値と比較せず、みんななりのみんなにしかできない努力を積み重ねていくことの大切さも忘れないで欲しいです。時に逃げたくなる日も何かから目を背けたくなる日も絶対きます。それでも、たとえ言い訳じみてても柔軟なアイデアでそれを乗り越えてボート部としての4年間を漕ぎ切ってほしいです。自分はみんなとたくさんの時間を共有してきて、みんながそれぞれ野心を持っていることは分かっているつもりです。完璧主義にならず、自分のペースでいいから最後に振り返って入部して良かったな、やめないでよかったなって思ってくれたら先輩として嬉しいです。
最後に
多くの人に囲まれて4年間を過ごすことができて本当に幸せです。高校までの友達とは違って、全員が家族のようなボート部という環境が自分の生活からなくなってしまうのは本当に寂しく感じます。辛い時も楽しい時もみんなで一緒に過ごしてきたので、当分は心にぽっかり穴が空いたような毎日を過ごすことになりそうです。みんなの応援とか信頼とかそういう一つ一つの言葉が僕を奮い立たせて胸を張ってこれました。自分が102代関大ボートの副将だって堂々と言えたのはいつだって自分を頼ってくれて信じてくれたみんなのおかげです。本当にありがとうございました。
自分の現実とその傲慢さに対してこのブログでは厳しく書きましたが、毎日を過ごしてきて一緒に乗艇してきて、皆さんは自分とは違うと思っています。いつものクルーミーティングで言っていた通りみんなならこのままもっと踏ん張れるし、この部をより高みに連れて行ってくれると信じています。みんなの夢や目標に向けて頑張ってください。
これからはみなさんの"毎日"を本当に誰よりも応援しています。みんなのことが大好きです。
一人一人へ向けて何か書こうと思ったけど、まだ明日以降も会うみんなにここで書くのが恥ずいのでご飯や飲みに行った時、艇庫に顔を出した時(OB面)、部室で雑談してる時にぽろっと伝えたいことは伝えていきます。卒業まで話せる限り話しましょうね!!!
最後に、同期のみんなへ
この4年間の中で毎日の様に話す人、大事なことは相談し合う人、必要事項しか話さない人、皆それぞれ自分とは関わり方が大きく違ったけれど、みんなが自分を成長させてくれるパートナーとして最高の同期だったと思っています。他の代に比べて友達のような関係ではなかったのかもしれませんが、一人ひとりが部のため、後輩のため、チームの未来のために動いていることは分かっていました。チームの仕組み的なところは皆が主体的に動いたおかげで徐々に変わってきていて自動化が進んでいたり誰かが仕事をやりやすくなってきていたり、今までと同じ動きでもそれについて意味を考えたりするように変わってきていることを本当に誇りに思っています。
今後は部とか責任とか役割とか関係なしの友達として仲良くしてくれたら嬉しく思います。改めてこれからよろしくお願いします。卒業するまで関大前とかで定期的に飲みたいなって思います。
102代 副将 村上裕次郎
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