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9月, 2025の投稿を表示しています

覚悟

  どうも、アドリブに弱い 102代主将の松山聡一郎です。 同期がいいブログを書く中、とうとう自分の番がやってきました。 関大ボート部になって気付けば1194日。 今日まで、来る日も来る日も艇に乗り込み、オールを握り締め、漕ぎ続けてきました。 そんな僕もあと6日で、艇を降り、オールを置き、漕手としても主将としての役目を終える。 もう手に無数のマメができることも、箸が握れないほど手のひらの皮がむけることもなさそうです。 そんな引退ライフの1日は朝日がのぼり出したと同時に起き、朝一杯の水を飲み、愛犬のチャロと一緒に散歩に出るところから始まる。 夏の暑さが和らぎ、夜明けとともにひんやりとした澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。黄金色に色づき始めた稲穂は朝露に濡れてきらめき、風に吹かれてゆらゆらと揺れ、さやさやと小さな音を立てる。鳥たちのさえずりが、その静かな朝をやさしく彩っている――完璧すぎる朝。 ……でもふと脳裏にチラつくのは、あの“完璧とは程遠い”朝の風景。 なしクォドのメンバー ・集合30秒前に爆速チャリで滑り込み、息切れしながら「セーフ!」って顔する宮城県民。 ・乗艇準備そっちのけで、なぜか自分の着替えを優先する元バイト仲間。 ・1日8個ペースで塩分チャージを摂取し、もはや人間よりスポドリに近づいてた同期。 そんなしょうもないメンツと、くだらんボケを飛ばし合いながらオールを船台に運ぶ毎朝の騒がしさ。 極めつけは、朝から変なテンションで絡んでくる愛知のかまってちゃん。あの“早朝テンション”に捕まると、こっちの目覚めも強制的に開く。 静かな朝の散歩も悪くないけど、正直ちょっと恋しくなる。――あのカオスな日常が。 で、ふと思う。 あれほど毎日を埋め尽くしていたボートがなくなったとき、自分は何に熱中できるのだろうか、と。 「趣味を探せばいい」って言われるけど、やっぱり本気で打ち込めるものほど心をワクワクさせてくれるものはない。 引退後の安堵を感じながらも、同時にこれから熱中できるものがなくなるんじゃないかーーそんな不安を抱えています。 でも、こうして思えるのも、一緒に頑張ってきたチームのみんながいてくれたからだと心から思う。 僕の代になってからは色んな問題が多くて、その対応に追われ、死んだ顔をしている時も正直多かった。 それでも漕手・マネージャーのみんなの協力があっ...

ぼくのなつやすみ

お疲れ様です。小藤です。 主務としての仕事が大方終わり、あとはインカレが無事に終わるのを見届けるのが最後の仕事となりました。振り返ると同時に何か後輩たちに伝えられたらなと思いながら書いたので最後まで読んでみてくれると嬉しいです。 一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一 「大学生は人生の夏休み」 高校までの勉強や部活などのやるべき事に追われる事なく、自分の自由に時間を使うことができ、その気になれば好きなだけ遊び惚ける事ができる大学生活を揶揄するこんな言葉があります。怪我で部活を辞めてから他に何かを本気で頑張る事も無く、指定校推薦で関大に来た僕は高校生の頃から一足先に人生の夏休みを過ごしていました。入学するまでは大学生活もただ4年間人生の夏休みが増えるだけだろうと思っていました。 4月、中高6年間男子校で過ごした僕はキャンパスに溢れる女性に圧倒されながらオリエンテーションに参加しました。そしてみんなと同じように新歓で艇庫を訪れ、当時の先輩方の雰囲気に惹かれ入部を決めました。入部してから同期と馴染むのは意外とスムーズで、出会って初日で裕次郎の家でピザを食べたり、まさとの家で料理を作ったり、とある奴は僕の家からバイトに行き僕の家に帰ってきたり...森合はLINEの友達以外からのメッセージを拒否する設定で一生無視が続き最初からヤバい奴で聡一郎は当時から既に僕らより色んな意味で少し大人でした。 こうして僕の人生の夏休みが始まりました。 漕艇部に入った選択は間違いなく正解でした。大学の友達の旅行や飲み会のストーリーが羨ましいとすら感じない程最高に楽しい1.2回生でした。選手としてではないスポーツとの関わり方は僕に新しい発見と成長を施してくれました。1回生の頃の思い出といえばインカレオフで同期と行った天橋立グランピング。「ボート関係ないんかい」そう言われてと仕方ないけどほんまに楽しかっです。監督からのメールもない、来週の部活の事も考えなくていい、超気楽だったし夢中で遊びました。夜には部活の話題で持ちきりで「俺らの代は誰が主将かな?主務かな?」みんなも1度はしたであろうこの話題で盛り上がったのを今でも覚えています。そして謎の喧嘩もして真夜中に天橋立を往復するっていう馬鹿な事もしました(往復7.2キロらしいです...) まさか僕が主務になるとはこの時1ミリも思ってなかったし、...

「野望と毎日」

想像していた4年間とは違った。 ボート部というものを両親から初めて聞いてこのスポーツを知りました。大学から始める人が多くて、みんなが全国優勝を目指して刮目する世界。そんなところに憧れて自分もいつかインカレ優勝する!なんて目をキラキラさせながらこの部の門を叩きました。関大に合格した頃から父から戸田のボート界の"当たり前"をたくさん聞いていたこともあって、自分もそんな世界の一員になって関大ボート部を引っ張ってやる!なんて思っていて、2000ttは4年後には6:30カット、関大の歴史を変える、誇れる戦績を作るんだと意気込んでいたことを今でも覚えています。 こんな3年前の自分と同じように夢と希望に満ち溢れた後輩のみんなへ向けてこのブログを綴ったので最後まで読んでいただけたら光栄です。 入学以前の話に遡ります。自分は先輩が嫌いでした。後輩も仲良くありませんでした。そんな高校時代を過ごしたことに加えて、関西の体育会のゴリゴリな人たちと共に過ごすということに嫌悪感を抱いていました。入部してからは新人指導と上回生が完全に分けられていることもあって半年間は高校生の時と同じように同期とほぼ毎日遊んでいました。いっさ、まさと、まっつんと4人で何回も泊まって遊んでいた日々はとても懐かしく素敵な思い出です。みんなで天橋立に行ったのもめちゃくちゃ懐かしいです。意外と自分はアーチェリーの才能がありました笑 1年生の9月頃、102代が上回生と同じ行動をするようになった時自分の人生は大きく変わったように思います。これまでは話したことのなかった先輩もインカレが終わってから毎日顔を合わせるようになると何度も一緒にご飯に行ってくれたり、部活前後でたくさん話してくれたりと今までの先輩への嫌悪感が一気に晴れました。ミー3でのスマブラ、練習後に何度も行った吉野家、加古川や浜寺へ向かう車内、博多旅行、日曜日夜のご飯・飲み、個人的な相談、それぞれ共に過ごした思い出の時間はバラバラですが、この毎日が自分は本当に幸せで大切な思い出です。特に101代の先輩方は1番長く一緒にいたこともあって引退してほしくなかったです。皆さんの背中を追っている毎日は本当に楽しく自分もこんな先輩になりたいなって思っていました。新勧リーダーで自分が苦しかった時、エルゴのタイムが伸びない時、乗艇技術が無くてボート無理だわってな...