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甘い夢だと、誰かがほざいていたって


こんにちは。


体幹botこと100代目主将の向原巧です。

実は主将になってからブログが回ってきていませんでした。なので前回のブログから1年以上経っており、さらにラストブログということでめっっっっっちゃ長くなります。


今日インカレに向けて無事戸田入りしました。

遠征に行くとマネさんが支えてくれていることをいつも以上に感じます。

みんなテキパキ動いていて、何かしようと動いていて、自分も頑張ろうって思えます。

ありがとう。


さて、画像や動画は思い出たちです。

大好きなみんな。関関戦の円陣。ロースーもらってイキっている100代男子(撮影:長島)。入部当初のひっでぇエルゴ。胃腸炎明けの3000×3。けいすけ君の後ろでひっでぇ漕ぎ。なんか映えてるエイト。惨敗した試合。発狂した試合。主務からのLINE。納城さんとお猿の再会。

濃いボート人生でした。


同期みんながいいラストブログ書いていたので、なんて思われるか少し不安です笑。


まぁ自分にしか書けないこと、伝えられないこと、書き記したので是非。





「君たちは100代目になるんだよ」

この言葉に惹かれ入部したボート部。

時の流れは早く、もう引退の2文字が間近に迫ってきました。


100代はどうでしたか?みんなどう思って過ごしてきたかな。

自分は主将としてこの1年間「全員で」ということを大切にしてきました。

なぜなら去年の経験があったからです。


去年の全日本フォア。結果は惨敗。どの大会も最終レースは必ず最下位。全く応援されず、自分たちが批判されていることも感じていた。

そしてインカレも惨敗。最後まで結果を残すことはできなかった。

どのクルーの時も1番練習した自信があったのに。


去年まではずっと自分(自分のクルー)が頑張れば試合に勝てると思っていた。


でも全く歯が立たなかった。

去年ずっと負け続け、やはり部員全員が一つになって頑張らないと勝てないことがわかった。

いや、今までもそれをわかっていたけど、それはわかっていた”つもり”だったのかも。


だから今年は「全員で」ということを大切にした。

漕手だけじゃなくて、マネさん、トレーナー、監督コーチ、OBOG、全員が応援し合うチームを目指した。


男子漕手で言えば、よくわからない理由で練習に来ない奴や、エルゴを平気でサボる奴もいた。

おそらく今までだったらそんな奴ら見捨てて、自分だけ頑張ってた。


でも見捨てたくなかった。みんなでやらないと勝てないとわかっているから。


たくさん面談やらなんやらで話して、目標も区切りあるごとに確認して、メニューも自分たちで決めて、ゆうすけとりやがたくさん協力してくれたお陰で、だいぶまともな男たちになったと思う。

全体のエルゴ値がかなり上がったのはみんなのお陰で、嬉しかった。


部員全体で言えば、簡単なルールを作ってそれを守ることから始めた。ビデオを見て話合うこともあったね。

今思えば、もっと男子以外に時間を使いたかったと少し後悔。女子ロー、マネさんすみません。


時間が経つに連れて

「最近雰囲気いいですよね。」

「楽しいです!」

って言ってくれる人が増えたし、顔が明るくなった人を見ると嬉しかった。


チームが変わったことは春の大会が証明したと思う。


特に朝日レガッタ。

レースが終わって船台に付ける時、みんなが迎えてくれた。

とても嬉しかった。去年は誰も来なくて雨の中裸足で船運んだのに、ここまで変わるとは思わなかった。


それ以外にもビデオ見ればお互いを応援する声が入っているし、蹴り出しの時も見送りする人が増えたと思う。


あの付きフォアのA決勝。

ずっと横並びで、かなりきつくて、あぁもういいかなって500過ぎたぐらいに頭によぎった。

でもそんな時、応援してくれるみんなの姿が浮かんできた。

ああもうこれやるしかないわって腹括れた。

ラストほんまに力出てきて3位になれた。


応援の力すごい。


これからもずっと応援し合あえるチームでいてほしい。


あと朝レの後に勝ってくれてありがとうってあみちゃんからLINEきた時はほんまうるうるしました。

こちらこそありがとう。






そしてこんな話が書けるのも、ここまで部を繋いで来てくれた先輩方がいたからです。

特にお世話になった97代、98代、99代の先輩方はコロナの影響で思った通りに運営も練習もできない状況だったと思います。

当時下回生だった私たちはただ皆さんに着いて行くだけでよかったですが、今こうして最上回生になり、本当に多くの苦労あったのだろうと感じています。

皆さんが繋いでくださったお陰で、こうして今100代は活動できています。

ありがとうございます。




高宮監督、コーチ陣の皆様、一年生からずっと指導してくれた今けんさん。

迷惑かけることもありましたが、ここまで温かく見守っていただきありがとうございました。

最後のインカレで、最高の恩返しをします。




同期のみんな。

個性強い100代だったね。

自分が入部した頃はまだ3人とか4人とかで、10人になったら焼肉奢ってもらえるって言われててまさか10人になるとは。

時には真剣に話をして、喧嘩して、怒られて、、

入部した時期はバラバラだったけど、最後の学生生活でこんなにも素晴らしい同期と充実した時間を過ごせると思わなかった。

それぞれ大変なことや辛いことたくさんあったと思うけど、よく頑張りました。

100代最後の試合。最高のレースにしようね。


りや、すずこ、あみも、ゆうすけ、ごーし、しゅんや、ようじろう、しおりちゃん、たいし


こんな主将を支えてくれてありがとう。


P.S.お金返して。




最後に家族。

高校生の時はいつも試合観にきてくれていたのに、いつもベンチ。

試合に出なかった時も、最悪なプレーした時もただ優しく言葉をかけてくれました。

西日本、朝レと観にきてくれた時はいい結果が出せているので、インカレもきっといい結果見せられると思います。

いつもありがとう。

あとはなぜか自分を追って他大学のボート部に入った弟に託します。









ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー










ここからは自分のことを包み隠さず、素直に。 




「夢」




2017年4月。私は特待生として広島の高校に入学した。授業料は全額免除で、両親に少しは恩返しできるなと嬉しく思ったのを覚えている。

周りからはもちろん、私も自分に対して「プロサッカー選手」という夢に近づくんだと期待していた。


が、その夢は叶うことなく3年間が終わった。正確には逃げた。


罰走や理不尽。期待していた日々とは違い、時計をチラチラ見ながら早く終われとただ練習をこなす毎日。先輩や監督から指摘されるのを怖がりボールを受けようとしない。得意だったことも出来なくなる。グラウンドに立つと視界がぼやけ、身体も動かない。


自分の弱さが露呈した。


授業の休憩時間、トイレに籠ってよく泣いた。1年生の頃は出ていた試合も学年が上がるに連れて、ベンチ、ベンチ外、Bチームと、遠のいていく。


大好きだったサッカーも大嫌いになり、2019年12月15日。最後の試合終了の笛を聞く。


あぁ、やっと終わったよ。


もうサッカーはしないと誓って、逃げた。




2020年の春になり、指定校の枠が空いていたという理由だけで関西大学に入学した。


大学に入学するころは高校入学時と真逆で夢も期待もなかった。


コロナで外に全く出ない生活をしていた1年生の夏のある日、私は神崎川に足を運ぶ。


その日は雨だった。

試乗会は中止になり、けいすけくんに艇庫Aへ案内された。


そこで見たのは、先輩たちが互いに鼓舞しながらエルゴをしている姿だった。とても眩しかった。求めていたものがそこにはあった。それを見た時、この部活の一員になりたいと想い入部を決めた。


サークル行ったこともあったが自分には合わず、遊びに行ったり飲みに行ったりするよりも体育会に入ってバチバチやる方が自分に合っていると悟った。


この3年間、お酒飲んでオールして倒れている人や遊んだり旅行する人たちをSNSで見て羨ましいなぁって思ったことは一度もない。なんならこんなに充実した日々を送っている自分は幸せ者だと感じていた。

練習後に同期とご飯に行った。たまにはお酒を飲んだ。わずかなオフで遠くにも行った。それだけで本当に楽しかった。幸せだった。


あと私は高校3年間でモチベーションという概念が崩壊していた。だから怪我しても辛くても病気になってもうまくいかなくてもどんな練習でも、気持ちが落ちることはなく淡々とこなしてきた。

ボート部で経験した大抵のことは、あの3年間のお陰で楽に感じた(エルゴはくそ)。

まあ強いてあげるとすれば、もう少し身長があればもっとローイングが楽しかっただろうなと思う。


そんなこんなでエルゴも部内では回る方になったし、2回生でインカレ出れたし、3回生では対校にも乗った。何か心に穴があるまま。




そして99代が引退し、まさかのまさかこんな自分が100代目主将としてラストシーズンを迎えた矢先、とあるコーチに全員の前で入部して以来1番頭を悩ませる質問をされた。



「たくちゃんは夢ある?」



東北大学の主将がインカレで夢を追いかけた話の流れでこの質問をされ、僕は首を傾げその場をしのぐことしかできなかった。みんな覚えているかな?


その質問は僕にとって何か呪いの言葉のようで、縛られた感覚を覚えている。


私の中で夢は「プロサッカー選手」で止まっていて、夢を持って挑んだ高校で挫折し、夢を持つことに背を向け逃げていたから。


夢を持つことが怖かった。ボート部にいて心に穴があったのは夢がなかったから。


その質問をされてから、私の夢を探す旅が始まった。


夢はなくとも止まって突っ立てっておく訳にもいかず、今まで通り淡々と頑張った。


加古川レガッタでは新人エイトに乗り1年生が必死に喰らい付いてくる姿に感化された。今だから言えるが新人エイトの期間肋骨が折れていた。あまりに新人のみんなが純粋に頑張っていたから痛みも忘れ、教えられることは教えた。

試合も0.4秒差を制する経験をさせてあげることができて、本当に嬉しかった。ありがとう。(⚠️怪我していたら練習休んでください。休め!早く治せ!)


冬練もインカレ入賞という目標に向け、主将だしなぁ、ラストだしなぁって思いながら頑張った。冬練の悲しかったことは泣きながら監督を説得した立教合宿に行けなかったこと。



そしてラストシーズン開幕。

西日本選手権。3位取れた。

前日負けてたクルーの背中を見ながら3位で漕いでいる時のあの感覚。震えた。

「3位だ!!いけるぞ!!」

いつきのコールが今でも聞こえてくる。


朝日レガッタ。3位取れた。

去年は敗コロ。対校とは?

納城さんにしばかれ、悔しくて温泉までの夜道を1人で泣きじゃくりながら歩いた。たぶん地元民にやばい奴が歩いとると思われた。

今年はみんなが応援してくれて、幸せだった。

毎レース最高に熱狂した。

あの横一線のA決勝。一生忘れない。


ごうし、りや。

去年あんな惨敗を経験した同期3人で一緒にリベンジできて本当に嬉しかった。ありがとう。


ゆうき、いつき。

道に迷っていた4回生3人を勝たせてくれてありがとう。


最高の4+だったよ。



自分たちの代になってもこのボート部でいろんな経験をした。ここにきてやっと「勝ち」を味わった。


でも結局夢は見つからず、、、、、




と、思いながら臨んだ今年の全日本選手権で転機が訪れた。


4+のA決勝を僕はゴール横で観ていた。

結果として明治大学が優勝したが、その時見た景色に、何かすごいものを感じた。


4+で出場していた選手たちはもちろん喜んでいたが、それ以上にゴール横で観ていた明治大学の部員たちが抱き合いながら喜んでいた。


その瞬間、

「日本一になってみんなと喜べたらどれほど幸せだろうなぁ」

「あぁ、日本一になってみたいなぁ」

と、ふと思った。


自分の頭に「日本一」なんて言葉が嘘でも浮かんできたことに驚いた。


夢から背を向け、このボート人生で夢なんて持たないだろうと思っていた私の中に夢ができたことを自覚した。


「日本一になってみんなで喜びたい。」


インカレ入賞という目標がある中、数人にしか言わなかったけど、こんな夢を持ってあの全日本から過ごしてきた。








「甘い夢だ。」


「何言ってんすか笑。」


「そんなん無理だよ。」


「現実見ろって。」









誰かが言うかな。


それでもいい。


もしこの先、関大漕艇部が日本一になった時、その軌跡の始まりは自分のこの想いかもしれないから。


そうならいいな。







遂に始まる100代目最後の試合。最高の舞台。



主将として最後の責務を果たす。



全身全霊で闘う。楽しむ。



もう一度、夢を追いかける。



大好きなみんなと一緒に。



ただそれだけ。












最後に。



第50回全日本大学ローイング選手権大会/第63回オックスフォード盾レガッタが始まります。


私たちが頑張ってきた証は、自分たちの中に”記憶”としてちゃんと残っていくものです。


しかし私を変えてくれた漕艇部に恩返しをするために、この先続く関西大学漕艇部の新しい歩みを始めるために、この100年の軌跡の集大成を”記録”として残します。


今まで自分たちが選択してきたことが、やってきたことが、正しかったと証明しよう。


9月10日、みんなで輪になって笑おう。








この5日間

私たち関西大学漕艇部は『熱狂』します。




みんなでぶちかまそう。




俺たちならできる。できる。できる。




さぁ、行こう。




甘い夢だと、誰かがほざいていたって。





100代 向原巧

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