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ボートに感謝

4年の松村潤です。

9月に入り、インカレまであと3日となりました。

去年のフォアで先輩方の引退を惜しんでいたのがつい先日のように思えます。


今回はラストなので思いのままに書こうと思います。長くなると思うので暇つぶしにでもしてください。


まず、ざっと4年を振り返ります。


1年では初っ端の2000ttでペース配分ミスってボロボロの記録を出しました。悔しくてしゃあなかったなあ。

夏に出場したオッタテでは藻に絡まってレーン侵害失格

秋にはほとんどの同期が辞める。このタイミングで本当に自分も辞めるか迷ってました。結局ボートが嫌いじゃなかったから続けてもうた。

冬には初めてトップクルーに選んでもらえて、オークリーのサングラスを買いました。自信もくそもなくてビビってたけど嬉しかった。


そしてすぐにコロナ。


その影響で2年生になっても、今まで当たり前に行ってた合宿もエッセンも授業も全部なくなりました。

遊びにもいけなくて、思い返すと真っ暗な世界って感じです。


自粛明けも未熟な自分は体力をかなり落としていて、先輩方に迷惑をかけます。

あのエイトで勝てなかったのは自分のせいです。

筑波の前でのエイトのラストミーティングは今でも鮮明に覚えてる。


2年の秋には同期の古川とペアで試合に出ました。

これはインカレ終わって勝てなかった虚無感とか絶望感とかで燃え尽きてた自分を奮い立たせてくれた期間です。

古川はいつも緩い雰囲気を作ってくれて、たまに一緒にサボったりもして、でも後ろからめちゃ声を出してくれて。

そんななんでもない時間に当時の自分は救われてました。ほんま薫ありがとう。


3年になって試合クルーを組むにあたって、結果に納得がいかなくて監督に泣きながら物申したこともありました。なんか何をそんなにムキになってたんやろって今では思います。


その夏のインカレが秋まで延期。

延期が決定したタイミングは追い込み期間も終わっていて、あとはやるだけの状態でした。

そんな時に1ヶ月半もの延期を告げられて、気持ちがすごくしんどかったのを覚えています。


そのインカレはタイムトライアル落ちで出場すらできませんでした。

本当にOBの方々・後輩や応援してくださった方々に申し訳ない思いでいっぱいでした。



そこから自分が主将としての新しい代が始まります。

この日から今日まで本当に色んなことがありました。

競技面では西日本と朝れ、全日本のフォアが印象的です。本当に結果を出せなくて申し訳ないです。

結果を出せない自分に焦ってイラついて、冷静な判断もできてなかった。

呪われてるかのように腹切りするし、一生分のブイパコもした。

その結果に対してチームからは厳しい意見があって、当たり前のこととは思っても正直辛かったです。でも変に優しくしてもらうより嬉しかった。


そして運営面ではコロナ禍の制限された活動から徐々に遠征や合宿が増えたり、コロナ前のスタイルに戻す必要がありました。

コロナ前の活動を知らない部員がほとんどで早朝練習の必要性や2部練への価値観を部員間で統一することが難しく悩みました。

早朝や2部をしたくない気持ちも理解できるので、悩みながら実行を押し進めた。


その他にも、関西選手権クルーが変更になることをフォアに伝えた時のことも印象的です。

エルゴめちゃくちゃ頑張ってやっとクルーボートに乗れた力丸をはじめ、日々熱く楽しく盛り上がってたクルーなのでそれを壊すかもしれない旨を話すことが辛かった。

頑張ってる人が損するようなことにはしたくなかったから悔しかった。

たいしろうは急にエイトに乗ってめちゃ頑張ってくれてありがとう。


そして今日まで一緒に戦ったインカレフォア

・穏やかながら熱く頑張るたくちゃん。

・時間軸が岐阜で行動遅すぎるけど、考え続けてるゆうき。

・いい雰囲気をバウから作ってくれるかおる。

・インプットアウトプットを繰り返し、成長し続ける藤尾。


自分のストサイの漕ぎが下手でリードする立場やのに足を引っ張ってました。

でも独りよがりに迷う暇もないくらい、きついメニューをみんなと乗り越える時間が楽しかったです。


りやも言うてたけど練習中はずっとペアが横にいて心が救われてました。


1番印象的なのは500*10ノンレストが終わったときに、水上で乾杯したことです。

ただの水やのにめちゃくちゃ美味くて、地獄みたいなメニューをこのメンバーで乗り切れたってのが嬉しくて達成感で満たされてました。


この感覚はある一定の壁を越えないと感じられないものやなあ。部活しててよかった。


インカレではこれ以上の達成感を得られる結果を出したいなあ。


振り返りはざっとこんなもんです。



高校までずっとスポーツをしてきて、学生最後の4年間をボートに捧げました。


大学でスポーツをしなければ抱けなかった感情や得られなかった価値観、あり得ないほどの達成感、悔しくて泣ける残酷さに感謝です。


この4年の経験は一生忘れへんやろし、今後の人生に活きてくるって確信できる。


ほんまにありがとう関大ボート部。


インカレで燃え尽きる。


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後輩たちへ


残りの時間ってのはほんまに短い。


特に3年生。


インカレ終わったら就活が本格化するし、チームの運営に頭使って冬練してってしてたら気づけば西日本。


文句や弱音吐いてるうちにもどんどん時間は過ぎてくから、自分の残り1年の生き方を考え続けてほしい。


まじでこの1年短いからな。こんなに仲間と楽しく熱くなれる時なんて学生で最後なんやから全力で楽しめ。


自分に軸を持って、色んなことがありながらもブラさずに、腐らずに、投げ出さずに、全力で取り組む奴が就活もうまくいくから。


頑張れ。


2年生と1年生へ

おれが同い年のときとは比べ物にならんくらいチームのこととか周りのことを見てると思う。

下級生やからこそ見えるチームの課題ってのはあると思うから、愚痴に変えるんじゃなくてチームを動かすことのできる人間に物申したらいいと思う。

3年生はコロナで色んな試合失ってるけど、2年と1年は色んなことにチャレンジできると思うから勢いつけて3年に鞭を打つ気でいってみて。


みんな心からありがとう。

ラストの試合頑張るから応援しててほしいです。



長くなりましたが僕のラストブログとします。

あと1週間駆け抜けよう。

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