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最後は気持ち

「最後は気持ち」   渡邊 響


「頑張らないと。まだいける。諦めるな。腹をくくれ。びびるな俺」そう言い続けたラスト1年。きつくて、きつくて、つらい。そんな競技だった。でも最高な競技だった。特にインカレが近づくと神埼で過ごす一日一日、神埼から家までの一日一日すべてが大切に感じた。でもそんなことは関係なく練習はいつまでたっても本気できつかった。ここだけの話、何回も十三から淡路までの電車でゆずの「栄光のかけ橋」を聞きながら泣いたことだってあった。それだけ練習を頑張ってきたからこそ2000TTの前日なんか4年になっても毎回緊張で死にそうだった。そのくらいラスト1年はきつかった。それまでの3年間なんて比にならないくらい。

でも逃げなかった。絶対に逃げ出したくなかった。逃げ出したくない原動力があった。それは「最終日への憧れと理想の自分」だ。

とある練習時。一度だけゆーすけに注意された時があった。あるエルゴメニュー(ステアーズ)できつすぎて途中にもかかわらず止めた時があった。いつも通り、きつすぎたから無理って思っているとゆーすけが来て「なんでやめたんですか。最後までちゃんとやりましょうよ」と注意してきた。自分の中でもう無理だと思っていたので「きつすぎた」と答えた。そしたら「関係ないっす。やらないとだめです」って言われた。すごく心に響いた。ほんとに惨めだった。「きつすぎた」と答えた自分自身が恥ずかしかった。それほど衝撃を食らった日だった。ボート競技において勝つために必要な選択は「やるか、やらないか」。そんな単純な選択ができていなかった。でもその日以降、絶対にきついことから逃げないことを自分に誓った。きついことを越えた日々が積み重なった先に間違いなく「新しい自分」が待っていると思えた。正解かはわからないが、それこそが「理想の自分」だと思った。


漕艇部に入って4年。いろんな人と出会った。いろんな価値観と出会い、身についた。一日一日は何気なく過ぎていくように思えるが今になって振り返ると本当にいい経験だった。その一つ一つが僕の人生の中で「誇り」となることは間違いない。でも「もっとあの時こうしておけばよかった」という後悔もたくさんある。願いが叶うならもう一年漕艇部で過ごし、できなかったことをできるようにしたい。でも人間は常に未発達でそういう思いを背負い、反省し、進化していく生き物だ。この漕艇部で経験した失敗や成功いろんなことを今後も必ず無駄にせず過ごしていきたいと思う。そんなことを考えれるようになっただけで本当にいい経験ができた4年間だった。


ラストなのでついでに後輩、マネージャー、次期幹部、監督コーチ、そして将来行き詰った自分が読み返す用へ。

今僕は最後のインカレに向けていろんな葛藤やプレッシャーを感じながら一日を過ごしています。

「98年続く歴史を越えたい、後輩に夢を与えたい、OB・OG、監督コーチを驚かせたい」いろんなことを毎日思っています。正直時間が過ぎることがめちゃくちゃ怖いです。でも対抗フォアのメンバーやかとりかと一つの目標に向けて試行錯誤して過ごす毎日が本当に楽しい。

本当に楽しい。だから皆には早いタイミングでこの領域に達してほしいと思う。何を偉そうにと思うかもしれないが、この領域は勝つためならなんだってできると腹をくくれたものにしか味わうことのできない狂気の世界だ。関大漕艇部にはこの経験をした人が絶対に少ない。断言できる。それは、チームの悪い所、いい所を発信する人があまりに毎回同じ人だからだ。誰かがやってくれる、そう思ってる部員も多くいるはず。もしくは自分の行動に自信を持てていないのかもしれない。いずれにしろ、自らチームとしっかりコミュニケーションをとる、顔色伺わない、意見を言う。簡単そうに思えて出来てる人が少ないのが関大漕艇部だとみんなもわかってるはず。相談はするべき。でも、幹部や仲いい友達だけに愚痴をはいてもなんの意味もない。勝利には近づかない。腹を割って話せないようなクルー、チームは絶対に勝てない。学年、役職、立場、そんなものは「やるかやらないか」になんの関係もない。ボート競技はそのくらい狂気の世界だということをを忘れないでほしい。キツイ練習を毎日してる選手、俺、サポートしてるマネージャーたちなら必ず「勝つための選択」ができる。頑張れ。やり遂げるんだ。出来たらかっこいいぞ。


そして次期幹部。本気でチームを今よりもっと強くしようと悩んでくれ。時には部員に嫌われるかもしれない。辛いしきついと思う。でも絶対に出来る。頑張れ。腹をくくれ。


以上。


長くなりましたが

インカレ暴れてきます。

「最後は気持ち」

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