4回生の石原大河です。
正真正銘の最後のブログなので軽く4年間振り返ってみたいと思います。
最初は今健さんの代の和久井さんに声を掛けて頂きました。声を掛けたワケは僕が少し焼けててなんかスポーツやってたっぽいってのが理由らしいです。色白の子やったらどーなっていたのか定かではないです。
その後浜寺杯での惨敗からボート部の人生が始まりました。整調ペアのシートが試合中に何回も外れまくる訳分からんレースでの幕開けでした。そして加古川レガッタと漕手の歴史を紡いでいきました。あの時のこーすけの熱いコールは今でも覚えています。
冬練には肋を怪我していてそのままcoxになりました。最初はそこまで乗り気で無かったのですが、何やかんやもう最後まできました。そしてcoxとして酸いも甘いも経験させていただきました。色々揉めた西日本フォア、初めてのメダルを取った浜寺杯、そして初めての戸田、オックスフォード盾レガッタ、問題児だらけの加古川エイト、たくさん船を傷つけてしまったこともありました。
3回生になるとコロナがやって来て、長い休止期間がありました。この期間が開けると西日本、関戦に向けてのフォアが消えていました。正確にはメンバーが消えてました。そして無職になった僕はゆーすけ達の代の新人指導を手伝わせていただいて冬のレガッタではメダルまで到達できました。
そして今年度の関西選手権のエイトがありました。僕にとってトップのカテゴリーでの初めての試合だったのでかなり緊張したのを覚えています。何度やっても試合の緊張は無くならないと思います。
振り返ってみて僕の転機はcoxになってから、ないしは2回生からかなと思います。その頃から本田さんがコーチとして来てくださり、関大ボート部は新しいスタートを切ったと思います。あくまでぼくの肌感覚ですが、あの頃から関大ボート部の戸田への意識が強まっていったと感じています。そして自分達の代でも昔と比べて「インカレ最終日」という言葉が多く聞こえます。なかなか現実は厳しく全国で大きな結果を挙げれたということはないですが、確実にここ数年の先輩達の意志は伝染していっていると感じます。それが関大ボート部の文化、歴史になると思います。
僕の好きな漫画である「ジョジョ」いわゆる人生哲学の教科書、にいい言葉があったので載せておきます。
どんなに辛くても目標にむかい続けるのは辞めないで欲しいです。めっちゃ小さい一歩でもいいんでその意志を見せることで誰かにとっての道標になるかもしれないです。
少なくとも先輩達が向かおうとしていた想いは僕らの代に繋がっていると思うし、自分も次の代の誰かの光芒になれるように最後まで何か伝えたり、示していけたらと思います。頑張りが自分達の結果に繋がるのはもちろん報われることだと思いますが、それ以上にその頑張りを誰かが汲み取ってくれて、文化、歴史へと長く残るならそれは結果以上の大きな報いだと思います。
かなり長くなりましたがトモニ頑張っていきましょう。
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