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負けを知ってる人は強い

こんにちは。

4回生漕手金子菜乃佳です。

今日も暑い中での練習、お疲れ様でした☀️


あと45日でインカレということで、私の出させてもらったインカレについて、ちょっとお話します!


私が初めてインカレに出たのは2回生の時、付きクォドでした。インカレというものがどういうものか、わからないまま、先輩の作ってくださったメニューをひたすらこなす二回生の自分。練習後に毎回バーピー150回というメニューをやっていたのは、しんどすぎて、今でもこの先にも絶対忘れないです。


たしか、バーピー含め、乗艇メニュー中も何回か泣きました🥲

それくらい、自分では追い込んでて、めちゃくちゃ頑張った!という気持ちで挑んだはじめてのインカレの試合ですが、結果はボロ負けでした。


最初の10本くらいでもう、他の艇とかなり差がついていました。

はじめてのインカレで分からないなりに、自分の限界を超えると感じるメニューをやってきたつもりで、それでも戸田勢に全く通用しませんでした。


こんなしんどいメニューしたのに、全然敵わない。頑張ってまだ2000を漕いでる途中なのに、周りの艇はもう先に行ってしまっていない。

先頭の艇との差が空きすぎて、審判艇に抜かされそうになるし、審判艇の波も気になる。

肺が潰れそうなくらい必死にこいでも、追いつけそうな兆しが全くなくて、ただしんどくて、でも2000までは何が何でも漕ぎ切らなくてはならなくて。

負けの景色はしんどすぎました。


私は、2回生のインカレは、自分なりに全力で追い込んだけど、そんなレースの景色でした。

それから、もう二度とあんな思いはしたくない、という、負けを知ったからこその気持ちが、メニューのしんどきときに、粘る底力になっていました。


ほどほどに頑張って、負けるって一番しんどいです。もうあの景色をみたくない、という、負けを知ったからこそ、メニューでしんどい時に、ここで粘れなければ、また来年もあの景色、周りに置いていかれるレースになるぞって思いました。


そんなこんなで、3回生のインカレ、シングルでは比較的、自分に厳しく練習ができたと思います。


勝った景色をもう一度味わいたいから、頑張る、というのも、とても素敵だと思います。

でも、私は、色んなレースで沢山ドベになって、その負けを知ってるからこそ、その思いを二度としたくないというネガティブな気持ちは、最強に強いパワーになると思っています。


今では、本当に運良く関西選手権などでメダルを頂いたりできるようになりましたが、まだまだインカレの舞台で互角に戦おうと思うと課題が山積みです。


ラストのインカレでは、クォドで出させていただくことになりました。

2回生、3回生のインカレで見てきた、レースの景色を変えたいです。絶対変えます


4回生の今でも練習メニューで心折れそうになる時がありますが、もう負けの景色はみたくないので、今年こそは最終日いきます🔥

コメント

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