スキップしてメイン コンテンツに移動

りんごでよろ

こんにちは!

2回生マネージャーの黒田詩織です。


まずタイトルに関して、意味はないです🍎🍏

昨日先輩からLINE上で急に

「君はあしたからしおりんごだ」

「ブログのタイトルはりんごでよろ」

と言われたので指示に従ったまでです。詳しい話が聞きたい人がいれば個人的に聞いてください(笑)


では本題。

2回目のブログ何書こうかなぁ🤔とずっと悩んでてけっこう色々と考えてたんですけど、上手くまとまらなかったので、最近あった個人的に嬉しかったことについて話します。


最近の嬉しかったことは、2016年から書き続けてた5年日記が埋まったことです!!

日記は、三日坊主になりがちな私が唯一日課として続けていたことで、5年続けられた事自分でもびっくりです。

1ページごとに日付が書いてあってそのページの1段目が1年目、2段目が2年目…と続けていくので、ここ数年の今日何してたかが分かるのでとても面白いです!


日記を一日の終わりに書くことで、その日の振り返りをすることになります。今日は忙しかった。暇だった。楽しかった。つらかった。やるべきことあったのにしなかった。充実した1日だった。無駄にした1日だった。などなど


見返すのは基本楽しいんですけど、反省することもあります。この時こうしていればなぁというのは多々。他にもこの時はこんな事を考えてやる気もあって頑張っていたのに、今の自分は…とか、過去の自分に少し申し訳なくなることもあります。

絶対自分しか見ない、絶対人に見せないものだから、正直なことしか書いてないので自分にとってすごく重みのあるものに感じます。


誰にでもずっと持ち続けている思いとか目標はあると思います。でも、その思いを忘れかけてしまったり、薄まってしまうこともあると思います。そんな時に何か目に見える形にして残してあると思い出すきっかけになると思います。


マインドセットシートやドキュメントなど他の人にも見える形で記録することももちろん大切な事ですし、必要な事だと思います。

でも、それだけでなく、人に見せることがないところで、目に見える形にするとより自分の考えが明確になったり、自分と向き合えるのではないかなと思います。個人的に。



と、言うことで、ペンを持つのが面倒くさかったら、スマホのメモ機能を使ってでも、一行だけでも、一週間に一回でもいいので日記書いてみることおすすめです😊


少し長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございます!

コメント

このブログの人気の投稿

ラストブログ

 ラストブログ お疲れ様です! 4回生の池内聡介です!  同期のみんなも4年間を振り返っているので、自分も振り返っていきます。長くなってしまう予感がするので、各学年や時期で印象深いエピソードとか感じたことを抜粋して書いていきます。もう最後なので色々と書きます。あとは、みんなへのメッセージも書きます。 1回生  8月にボート部に入部しました。入部した理由は直感です。なんとなく雰囲気が良かったから、楽しそうだし、そんな感じでした笑 りやさんにボート部の説明を受けたことと、阪急淡路駅から艇庫に向かう途中に川口と出会ったことを覚えてます笑 最初の頃はボートが楽しいというよりは、同期や先輩と遊びに行ったりする方が楽しくて、それ目的でボートをしていました。正直、モチベーションは4年間の中でも低かったと思います。コロナの影響もあったからかなぁ。 2回生  インカレ前の2000ttです。モチベーション低い期でしたが、インカレには出たいという気持ちはありました。しかし、エルゴタイムは7.05  5秒足りませんでした。何回チャレンジしても、この5秒の壁は大きかったです。今までの練習への取り組みの甘さが出ました。  結局エルゴタイム切れずにオックスフォード盾レガッタに出場することになりました。そして、インカレでは同期のゆうき、こーゆー、みゆとかが戸田の大学といいレースしてて、羨ましさ、かっこよさ、自分に対する悔しさ、情けなさとか色んな感情が心の中にありました。オッ盾で勝っても負けても何も感じなかったです。それも悔しかったです。  インカレで活躍する同期を目の当たりにして、自分も来年こそは練習頑張ってインカレに出たいという思いが強くなりました。冬練を頑張ろうと思うきっかけでしたし、挫折でもありました。 3回生  3回生で、印象に残ってるのは初めて対抗に選ばれたことです。冬練で初めて7分カットして、関関戦に出ることになりました。すごく嬉しかったことを覚えています。今までの努力が報われたというか、頑張ってきてよかったと感じました。  今までは、正直、試合に出ても緊張は全くありませんでした。しかし、対抗に乗ってからは違いました。対抗は部の代表であることや勝つことへの責任がありますし、重圧もあります。試合直前のアテンションの時は震えるようになりました。  関関戦、関戦では巧さんが...

「楽しさが最大の思いやり」

こんにちは。2回生漕手の太田心菜です!! 「思いやりって大事やなぁ。」そう感じることができた去年の西日本選手権。 私は同期のちひろと一緒にダブルスカルで出場しました。ちひろとは高校から一緒にボートをしてて、どんな練習も乗り越えてきました。 だからこそ、勝ちたかった。勝ちたい、その一心で、ちひろに強く当たってしまいました。 なんで上手くいかないの、なんで、なんで、空回りして、その時のボートはまったく楽しくありませんでした。 でも私以上に、相方であるちひろはもっとボートが楽しくなかったと思います。(あの時はごめんなさい。)そして、試合では大負けしました。 この経験から何が言いたいかというと、「楽しくボートを漕ぐことが、最大の思いやり」ということです。 もちろん厳しさも必要ですが! 思いやりがないとクルーも速くならないと思います。 最近はフォアに乗らしてもらっていて、色んな発見があります! リガーとグリップをしっかり持って、相手が技術練をしやすくしたり、グリップを下げて、逆サイドの人が艇を旋回しやすいようにしたり… スカルよりも思いやりが必要な気がします…(汗) ボートは人間関係が密接に関わる競技だと私は思います。 なぜなら必ずどちらかが正しい、どちらかが間違っている、というような関係になりがちだから。 どちらかが上手で、どちらかが下手という関係。 下手な方は、私が下手だから上手く漕がなきゃという罪悪感の中で漕ぐつまらなさ、上手な方は、相手の教育のために自己犠牲を強いられていると思うつまらなさ。 そんな関係のクルーが日本一になれるわけがないし、継続的に良い練習ができないと思います。 だから、経験者(上手い人)はそこまで上手くないと自覚すること。 もし初心者がどうしても上手くいかない場面があっても、その分経験者(上手い人)がもっと上手くなればいいという寛大な心持ちでいること。 初心者も、何かしら優れているところはあるからそこに自信を持つこと。 1年後には経験者(上手い人)を抜かせるかもしれないと思うこと。 お互いをリスペクトすることが思いやりに繋がると私は感じます。 そんな風にもっと部内がなればいいなと心から思います。自分自身も、もう二度と人を傷つけないように、勝つための思いやりをしていきたいです。 冬練寒いですが、みんなで頑張っていきましょう!

もう一度

 こんにちは!経済学部新2回生の山本陸人です。 まずは西日本選手権お疲れ様でした!サポートしてくれたマネージャーさんありがとうございました!応援ツアーに参加してくれた新入生もありがとう! 前回のblogではみんなにお前のblogアツかったと言ってもらえて嬉しかったです。今回も自分の思いを素直に書いたので是非。 では本題に入ります。 11月の加古川が終わったタイミングでの5種目測定で全く記録が出ず悔しい思いをしたと同時に、冬練を頑張ろうと誓いました。実際に冬練ではチーム1頑張った自信があったし、エルゴが1番回るわけではないけどチーム1成長できたと思います。 この調子で7分カットして絶対インカレに出る。なんなら対校クルーを狙ってやろうとも思っていました。 でも人生はそう簡単には行かないもので、そこから地獄のような日々が待っていました。冬練が終わり、西日本に向けて取り組む1ヶ月間の僕の姿は、誰がどう見てもネガティブに見えていたと思います。 どんなに練習しても上手くいかず、自分たちより練習していないクルーにボロ負けし、マジで辛かったです。毎日練習早く終わらないかなと願い、練習が終わると誰かに文句を言っていました。 同時並行していた新歓活動を言い訳にエルゴをしなかったり、エルゴをしてもストレスで腰痛になるという負の連鎖で完全に心が折れていました。 文句を言いつつもなにもできない自分にも腹が立ち、精神的に辛かったです。精神的に辛すぎてMr.Childrenの終わりなき旅を聴きまくってなんとか持ちこたえようとしていました。笑 こんな精神状態でもボート部のことが好きなので、新歓活動だけはガチりました。体育会の良さ、そしてボート部の良さを新入生に知ってもらうために必死に頑張りました。そしてなんといっても新歓活動での同期たちの活躍に感動しました。試乗会の乗艇班を2年生で回し、大盛り上がりした時はめちゃくちゃ嬉しかったです。 新歓を通して同期がもっと好きになったし、改めて大切さに気付かされました。 まだまだスランプだけどちょっとずつ前進してインカレに出れるように、戸田遠征のクルーが同じだった立教の子達にインカレという舞台で会えるように。そして、4年間最高だったと言えるように今度は自分だけじゃなく大好きな同期のためにもう一度頑張ります。 104代 山本陸人