4回生の藤井京吾です。みんなと違いマジメな話ですが、ぜひ付き合ってください。
題名である「井の中の蛙」という言葉は高校から常に大事にしている言葉です。後付けの「大海を知らず」という言葉は大学に入って知りました。ボートでも進路でも大切になってくると思います。
関大ボート部はまだ井の中の蛙だと思います。西日本やインカレの決勝クルーを見て「うわー、すごい。」「あれには負けるわ。」といった言葉をよく聞きます。では、なんで頑張ってここまで来たのに予選敗復まけて最終日に行かずに幕を下ろすのか。
それはもちろん技術力が全体から見ると足らないと感じました。それはみんなも戸田には負けるとか何度も思うかもしれません。「だってあいつらは経験者集団だから」といった言い訳を聞いたことがあります。けど関大と同じく一橋も同じく経験者がいない大学なのでプラス思考に働きませんか?
ただ違うのは中野紘志コーチと数少ない経験者たちです。スポーツ界はコーチの存在で成績が変わったりしますが、経験者たちが主体になって初心者たちに技術指導を徹底的にしていくこともインカレ最終日につながる第一歩だと思います。
800キロを目標にして達成したときに、僕は心残りがありました。それは前コーチに「ぬるい。」と言われた記憶はたぶん鮮明に覚えていると思います。慶應と関大が同じメニューをしても技術や体力、メンタル部分でも反比例していると思いました。エルゴは7分カットを当たり前にせずに隣に経験者やエルゴを自分より回す人と一緒にやって競争心やレベルを上げていくこともありだと思います。
上手な選手は、決まった才能ではなく、ただボートが大好きだから、そのたびにどうすればいいかを自分で考え、地道に努力してきた選手だと思います。人に聞いたりして常にどうすればもっと上手くなれるかを考えてもいいかもしれません。
僕は「満足したらそこで終わり」という気持ちを強く持っています。そして大切なのは、ボートがめちゃくちゃ好きなこと。
ラストブログ お疲れ様です! 4回生の池内聡介です! 同期のみんなも4年間を振り返っているので、自分も振り返っていきます。長くなってしまう予感がするので、各学年や時期で印象深いエピソードとか感じたことを抜粋して書いていきます。もう最後なので色々と書きます。あとは、みんなへのメッセージも書きます。 1回生 8月にボート部に入部しました。入部した理由は直感です。なんとなく雰囲気が良かったから、楽しそうだし、そんな感じでした笑 りやさんにボート部の説明を受けたことと、阪急淡路駅から艇庫に向かう途中に川口と出会ったことを覚えてます笑 最初の頃はボートが楽しいというよりは、同期や先輩と遊びに行ったりする方が楽しくて、それ目的でボートをしていました。正直、モチベーションは4年間の中でも低かったと思います。コロナの影響もあったからかなぁ。 2回生 インカレ前の2000ttです。モチベーション低い期でしたが、インカレには出たいという気持ちはありました。しかし、エルゴタイムは7.05 5秒足りませんでした。何回チャレンジしても、この5秒の壁は大きかったです。今までの練習への取り組みの甘さが出ました。 結局エルゴタイム切れずにオックスフォード盾レガッタに出場することになりました。そして、インカレでは同期のゆうき、こーゆー、みゆとかが戸田の大学といいレースしてて、羨ましさ、かっこよさ、自分に対する悔しさ、情けなさとか色んな感情が心の中にありました。オッ盾で勝っても負けても何も感じなかったです。それも悔しかったです。 インカレで活躍する同期を目の当たりにして、自分も来年こそは練習頑張ってインカレに出たいという思いが強くなりました。冬練を頑張ろうと思うきっかけでしたし、挫折でもありました。 3回生 3回生で、印象に残ってるのは初めて対抗に選ばれたことです。冬練で初めて7分カットして、関関戦に出ることになりました。すごく嬉しかったことを覚えています。今までの努力が報われたというか、頑張ってきてよかったと感じました。 今までは、正直、試合に出ても緊張は全くありませんでした。しかし、対抗に乗ってからは違いました。対抗は部の代表であることや勝つことへの責任がありますし、重圧もあります。試合直前のアテンションの時は震えるようになりました。 関関戦、関戦では巧さんが...
コメント
コメントを投稿