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99代漕手 松村

 2回の松村潤です。


みなさんのブログ読む度に何書くべきかとプレッシャーでした。ついにこの日が来たんですけど、とりあえず自分が思ってることを話したいと思います。


最初に、インカレエイトで仙台大学が優勝する瞬間を見てたんですけど漕ぎ切った瞬間、色んな所から叫び声聞こえて、会場が沸いて、これが日本一なるってことなんやなって感動したの覚えてます。


一方で僕はインカレで負けた瞬間に本当に今まで経験した中で1番の虚無感?を得ました。それと同時に、あのクルーで最終日残らんかったらいつ行けるねんって思ってたので残りのボート人生で何していいかわからなくなりました。正直、先輩方と一緒に引退したいと感じました。


この悔しさが今の自分の原動力です。


加藤さんの話に繋がるんですけど、インカレで負けて船台帰る時にサポートやマネの方に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。でもお疲れ様!の一言で船の片付けを手伝ってくれる姿に頼もしいなと思いました。


また、優勝したときには泣いて喜んでくれる人もいます。漕いでる人よりも喜んでて勝って良かったと感じます。


やっぱりこういう人たちが自分らを信じて待っているのだから漕いでる人だけは諦めたらあかんなって思いました。


でも戸田は年がら年中こんなこと思ってる人らの集まりやと思います。体力とか技術はこの冬トレで付けるとして、この気持ちだけはすぐに持つべきやと思います。戸田と違って通いの僕らには浮気できるもの沢山あって難しいんですけどね。なのでできるだけ早く気持ち固めちゃいましょ。


そんなん当たり前やろって思う人も多いと思いますが、サーキットのラスト1秒まで動き続けるとかUT、エルゴの中盤、ノーワークの質、こういう所もめっちゃしんどいけど試合中に陸で信じて待つ人のためにやるべきやと思います。僕も頑張ります。


来年の戸田で予選あがれるように、準決あがれるように。敗復行っても絶対のし上がってこれるように頑張りましょ。

ほんで勝ったらアホみたいに叫びましょ。


とりあえず明日からまた地獄が始まりますけど頑張っていきましょ!

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