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100代漕手 長島

 長島です。突然ですが、私はバカです。

 

 世の中には、いらんなバカが存在しますが、私は、何も考えずに生きているバカです。今まで感覚で生きてきました。

 

 例えば、勉強の面では、日本史を計4年間やってきたのにも関わらず、結局受験で使えたのは、受験まで半年を切ったところからしか使えませんでした。そして、数学は、暗記の勉強だと本気で思っていました。なので、数学をやめる高2まで、学校の試験では、数学の問題を一つ一つ全部覚えていました。現代文は、フィーリングで読むものだと思っていました。なので、点数が高い時と低い時のバラツキがひどかったです。

 

 スポーツの面でも、だいたい感覚で生きてきました。一年生の時は、常に教えられる側だったからいいものの、上級生になり、後輩に教える立場になると、本当にひどかったです。感覚で生きているので、人に教えられないのです。なので、あの人に聞いたら、わかりやすいよなどを言って他の同期に頼っていました。そして、がむしゃらにやればやるほど、力がつくと思っていました。たしかに力はつきましたが、今振り返ると、同じような時期に始めても、自分より上手かったやつは取り組む姿勢、努力の質、ベクトル、思考回路の違いだったと思います。

 

 私は、今までこういう生き方をしてきました。感覚で生きることは悪いことだけではないです。動かない自分の代わりに、周りが何かやってくれたり、手伝ってくれたりするので、非常に楽です。比較的、自由気ままに生きることができます。同期には長男が多いので、非常にありがたいです。

 

 しかし、大学生という大人になり、これからは人から与えられる側から人に与える側にならなければなりません。そして、受動的ではなく、自分で考えて、主体的に何かを発信して生きなければなりません。

 

 流石に、このままではやばいと思ったので、大人になれそうなことないかなーと思っていた頃、ボート部に出会いました。ボート部にいる先輩方は、頭脳明晰で、人に何かを伝えることが上手い人ばかりでした。そして、ハードな練習の中、自分自身を管理している人ばかりでした。衝撃が走りました。関大ボート部の特徴である部員主体のコミュニティーに入ったら、経験したことのない新しい刺激をもらえると思って入りました。今でも日々、先輩方から学んでばかりです。

 

 ブログは終盤に差し掛かって、何を言っているか分からなくなってました。とにかく、私自身のボート部でのデッカい目標は、大きく分けて二つあります。大会で勝つなどの勝利をすることと別に、ボートというスポーツを通して学び、頭をよくすることです。感覚と論理を融合させたいです。頭をよくするためには、まず頭の思考回路を変えないといけないと思うので、本などを読んで、ゆっくり学んでいきたいです。 

 

 将来的には、関大の知性になりたいです。ボード部の京大生と知的な会話をして盛り上がりたいです。

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